地域間の抗争が激しくなった戦国時代、戦い方の主流となっていたのは、山城にこもって敵を迎え撃つ籠城戦(ろうじょうせん)でした。そのため、いざ敵が攻めてくるということになれば、地域の領主や武士をはじめ、住民たちは自らの命や財産を守るために、まずは城内に入ることをめざしたものと想像できます。
もちろん、麓から攻めてくる敵兵に対して自然の山のままでは不十分であったため、城には様々な人工的な防御施設が設けられました。一つは普請(ふしん)と呼んでいる種類のもので、山の本来の地形を改変するような土木工事のことを指しています。もう一つは作事(さくじ)と呼ぶもので、建築物を設ける行為のことをいいます。この普請と作事をうまく組み合わせることで、簡単には攻め入ることができない強固な山城が造られていました。
籠城は、一見すると消極的な戦法のようにも映りますが、山の高低差を利用した理にかなった戦い方であり、耐えている間に他所からの援軍で挟み撃ちも期待できるという効果もありました。籠城側は、城の各所に普請・作事による仕かけを設けることで、敵の侵入を防ぐことに力を注いでいたのです。
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