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ごん吉くんレポート~南吉よもやま話~

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愛知県半田市

■第68回 祭りと母
「第九回はんだ山車まつり」まであと2か月。待ち遠しいですね。祭りが近づくと自然に心が浮き立ってくるのは、半田市民の性でしょうか。これは新美南吉も例外ではありません。
南吉にとって一番身近な祭りは、岩滑の祭礼でした。亡くなる2か月前に書いた童話「狐」は、岩滑新田の子どもたちが岩滑本郷の夜の祭りを見に行くところから始まり、人形三番叟や神子舞の様子が詳しく描かれています。
岩滑新田の祭礼も南吉とゆかりがあります。平井組に伝わる史料には、大正5年4月に平井組で初めて山車を曳き回した際の山本が、南吉の実母の弟である新美鎌次(治)郎だったと記されています。この時の山車は、他地区の中古を購入したものだったため、平井組では早くも大正7年に山車を新調しており、翌年には畳屋だった南吉の父が山車の中に敷く畳を作ったことも記録されています。
現在、岩滑新田に山本の制度はありませんが、祭りを司る山本となるのは名誉であり、新美家にとっては家を挙げての盛事でした。嫁に出たりゑも息子の正八(南吉)を連れて手伝いに来たことでしょう。りゑは翌年11月に病で亡くなるため、この時健康で来られたか確証はありませんが、もし親子で来ていたとしたら、まだ3歳足らずの幼い南吉にとって、ご馳走が振る舞われ、大勢の人が祝いに集まる母の里での体験は、鮮烈な記憶となったことでしょう。
祭りを舞台にした「狐」は一方で母の愛をテーマにした童話でもあります。この祭りと母のモチーフは13歳で書いた最初期の短編「月と横笛」にも見られます。南吉にとって祭りは、幼くして死に別れた母との楽しい記憶を呼び覚ますものだったのかもしれません。勇ましいことが苦手だったはずの南吉が祭りに心浮き立つ理由は、もしかしたらそんなところにあるのでしょうか。

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