杉江香代子さん(72歳)
■前を向いた先にあったものが「作詞」
市内在住で作詞活動を行う杉江香代子さん。2015年から日本作詩家協会・日本作詩大賞新人賞に応募し、これまでに9作品が入選。17・18年には、2作品が佳作に選ばれました。
20代の頃から音楽が好きで、コンサートに出掛けたり、レコードで音楽を聴いたりしていた杉江さん。ガソリンスタンドを経営しながら、40代後半には趣味で作詞や作曲に挑戦し、同業者との宴会で曲を披露していました。「音楽好きな仲間が集まって、ライブを行うことがとても楽しかったです」と当時を振り返ります。
転機が訪れたのは、60歳。同業者の仲間が、自分で作詞した作品を自由に投稿できるインターネット上のサイトで披露していることを知り「私もそこにちょっとおしゃれな表現でよくコメントをしていました」と話す杉江さん。それを見た仲間から「作詞をしてみたら」と声を掛けられ、作詞のルールを独学で勉強し、同サイトに作品を投稿するようになりました。サイトでの交流を通して音楽仲間が増え、65歳の時には、音楽好きが集まり、意見交換や自分磨きができるサイト「虹の音楽舎」を立ち上げます。
杉江さんがこれまで書いてきた歌詞は、100作品以上。中でも『「涙捨(なみだす)て屋(や)」の女将です』は、初めて佳作に選ばれた作品で「今まで旅行雑誌やテレビでよく見ていて、行きたいと思っていた京都の伊根町を書きました。街と海が一体になっている風景が好きで、動画サイトなどで調べて、訪れた気持ちになって作詞しました」と思い入れを語ります。
楽しく作詞をしていた杉江さんですが「コンクールで受賞を重ねるうちに落選したらどうしようとプレッシャーを感じ、怖くて思うように作詞ができない時があった」と話します。19年のコンクールで、初めて入選を逃しますが「落選してよかったです。自分を追い込んでしまっていたので、肩の荷が下りて、もっと自由に歌詞が書けるようになりました」と転機に変えます。
「ルールの中でうまく感情を表すフレーズが思いついた時が楽しい」と笑顔を見せる杉江さん。「読み返すと、当時の感情を思い出して、初心に帰ることができます」と昔を思い浮かべます。
「大変なときも前を向いて歩いてきた先にあったのが作詞でした。コンクールで最優秀賞を取って、CDのA面に採用されることが夢です。プロの作詞家として、多くの人の心に寄り添う作品を書いていきたい」と夢を追い続けます。
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