このコーナーでは、弥富市のまだまだ知られざる歴史について、弥富ふるさとガイドボランティアが紹介していきます。
◆宮崎筠圃(いんぽ)邸址
宮崎筠圃(いんぽ)は江戸時代中頃に活躍した十四山出身の漢学者・文化人です。享保2年(1717年)鳥ケ地に生まれ、安永3年(1774年)に京都で亡くなりました。幼い頃から非常に聡明で、10歳のときに漢詩を作ったと伝えられています。この頃に父と共に名古屋に移って学問に励みました。
17歳で京都に移住し、儒学者伊藤東崖(とうがい)の下で学ぶと同時に書画も修めました。特に竹を描くことに優れ、浅井図南(となん)らとともに「平安四竹(しちく)」と称賛されました。
生家は、昭和20年ごろに取り壊され、その跡地には十四山中学校が建てられました。宮崎筠圃邸址の碑は現在、十四山中学校グラウンドの片隅にあります。
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