伊勢湾台風から9月26日で65年が経過しました。このコーナーでは、現在ガイドボランティアとして活躍しているメンバーの被災体験を紹介します。
◆(4)子どもから見た災害と復興
伊勢湾台風の日は膝くらいまで水に浸かりながら、母の実家に避難した。旧弥富町役場の職員だった父は避難した途端に緊急の呼び出しがかかり、2ヶ月半ぐらいはものすごく忙しそうだった。災害対策本部になっていた町役場(旧資料館の位置)に時々父の荷物を持って行ったが、敷地内の建物にむしろをかぶせられた遺体が並んでいて、最初はすごく恐ろしかったが、そのうち慣れてしまった。川辺で大人が穴を掘って遺体を火葬しているのも見た。
復旧が進んできたら、現在は総合社会教育センターがある辺りの砂地に、机代わりのみかん箱を並べて行われた青空教室で勉強した。しかし、近くで発着していたへリコプターの風で飛ぶ砂が当たるとすごく痛いので、発着の時はみんなで避難して飛び去ると授業を再開するという状況だった。弥富中学校が再開して授業を受けられるようになると、よく自衛隊のトラックやジープに乗せてもらって通学した。
伊勢湾台風をきっかけに防災の重要性を実感し、防災士の資格も取得して、現在は自主防災会の会長として活動している。
加藤幹夫、当時桜小学校3年生
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