■広島研修
◆広島研修
弥富中学校 杉野 世奈(すぎの せな)
【原爆投下前】
現在、平和記念公園となっている場所は中島地区と呼ばれ、幕末から明治・大正にかけて広島市の中心的繁華街としてにぎわった歴史のある街でした。商店、映画館、旅館などが立ち並び元安川と本川に挟まれた中島地区では、舟で物資輸送したり、水浴びをしたり、多くの人々が行き来する街として栄えました。現在、原爆ドームと呼ばれる施設は美術展覧会場であり、チェコの建築家によって建てられました。
【平和記念公園】
原爆が投下されてから、中島地区の建物は全てなくなり、住んでいた人々もいなくなりました。残された人々も、奇跡的に残った原爆ドームをこのままにしておくか、取り壊すか迷ったそうです。工事をしながら、原爆ドームをなるべく当時の姿に近いものにしています。それは、戦争を知らない私たちのような世代の人たちにも、戦争の悲惨さを伝えたいという願いが込められているからだそうです。
【平和とは】
今、私の生活は平和だと思います。毎日ごはんが食べられるし、家族も友達もいるし、平和で安全な毎日が送れていると思います。私が当たり前に送っている生活を世界中の人ができるようになれば、世界が平和になると考えました。核兵器を持つ国がなくなってほしいです。
【広島研修を終えて】
広島研修に行ってから、現在の私たちの暮らしがどれほどありがたいものなのか分かりました。そして戦争の悲惨さを知り、二度と同じようなことが起きないようにすることが、私たちのするべきことだと思います。世界中が平和になるように、戦争の悲惨さを伝え、平和の大切さを分かってほしいと思いました。
◆広島研修
弥富中学校 加古 唯菜(かこ ゆいな)
【被爆ピアノ】
広島研修一日目の夜。私たちは、被爆ピアノの演奏を聞いた。被爆ピアノは、原爆が投下された場所から少し離れた場所で被爆したものの、まだ弾けるピアノのことだ、とこれまでたくさんの被爆ピアノを救ってきた調律師の方がおっしゃっていた。今回、私たちが拝見したピアノは元々、カズ子さんという方のピアノだったそう。カズ子さんもそのピアノと一緒に被爆してピアノはもうボロボロの状態だったが、その方によってまた素敵な音色を奏でられるようになったという。持ち主のカズ子さんは今年の夏に天国に行ってしまったが、被爆ピアノの音色は、天国にも世界にも響いていると私は信じている。
【原爆と偉人たち】
広島研修二日目。私たちは平和記念資料館で原爆の悲惨さを多く学んだ。中でも、私が興味を持ったのは、原爆に対する偉人の言葉である。「私は人生で一つ間違いを犯した。ルーズベルト大統領に対し、原子爆弾を作るように勧める手紙に署名したことである。」という言葉である。この言葉は科学者のアインシュタインが言ったものだ。その後、リトル・ボーイという原子爆弾が開発された。まさか、自分たちが開発した原子爆弾がこんなことに使われるとは、思ってもいなかっただろう。
【まとめ】
今回の研修で戦争との向き合い方が変わったように感じる。「平和とは」という疑問は、今、戦争で苦しんでいる人たちだけのものではない。人々が核兵器におびえず、皆平等に暮らしていける。それが平和だと私は考える。
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