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教育の広場

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愛知県弥富市

■広島研修

◆広島の過去と未来
弥富北中学校 稲垣 美羽

【広島研修に行くまでの思い】
私たちは、広島研修に行くまでに、総合的な学習の時間を通してさまざまな事前学習を行いました。原爆の被害にあった人やその家族、アメリカの大統領や一般の市民など、さまざまな立場の人の原爆投下に対する意見を聞きました。原爆の被害にあった人たちだけではなく、日本から攻撃を受けたアメリカの人々も全て含めて、戦時下を生きた全ての人たちが戦争の被害者であるということを考えさせられました。今までは、原爆投下の悲劇的な側面だけを考えていましたが、なぜ原爆投下に至ったのか、原爆投下は必要だったのか、ということについても学びを深めていきたいと考えるようになりました。

【しげるちゃん弁当を食べて】
私は、しげるちゃん弁当を受け取った時には、なかなか気が進みませんでしたが、食べていくうちに、折免滋(おりめんしげる)さんがどんな気持ちでお弁当を食べていたのか、また当時の軍の人や政府の人たちがどのような気持ちで戦時下を生きていたのかを考えました。しげるちゃん弁当の後に食べたおにぎりは、いつもの何倍にもおいしく感じました。日頃幸せに暮らしていることは当たり前ではなく、毎日に感謝しながら生きていくことが大切であると考えました。

【広島研修を終えて】
私は事前学習において、「原爆投下は仕方がなかった」という意見が世の中にあるということを知り、何が正しいのかとても悩みました。しかし、実際に被害を目の当たりにすると、どちらが正しいかではなく、「戦争はあってはならない恐ろしいもの」であると思いました。
また、戦時下を生きた人たちは、戦時下においても希望を捨てず、一生懸命に生きていたことを知り、現代を生きる私たちも、しっかりと日々を大切に生きていかなければならないと思いました。
しかし、今でも戦争をしている国や核兵器を持っている国があります。今回の広島研修で学んだ平和への思いを大切にしながら日々を過ごし、戦争を止める方法があるならそれに全力で取り組んでいきたいと思います。

◆続く平和
弥富北中学校 小川 菜月

【“平和”という言葉】
広島研修に行く前は、「平和」という言葉は、「戦争がなく普通に暮らせること」という程度に軽く考えていました。しかし、実際に平和記念資料館を訪れ、さまざまな資料を目にしたりお話を聞いたりしたことで、平和とは当たり前のものではなく、これまでの時代を生きた人々がつくりだした、奇跡的な状態であると感じました。

【子どもたちの苦労】
資料館を見学し、多くの子どもたちが原爆の被害で亡くなったということを知りました。当時、私たちと同じ中学生の子どもたちが、空襲によって火災が周辺に広がるのを防ぐため、あらかじめ建物を取り壊す作業である建物疎開と呼ばれる作業をしており、その最中に被害に遭ったそうです。資料館に展示された遺品の中には、真っ黒に焼け焦げたお弁当箱や、一部が焼けてしまった服などがあり、とても心が苦しくなりました。また、原爆の被害によって親を失った原爆孤児と呼ばれる子どもたちは、戦後も靴磨きなどをして苦しい生活を送っていたということを知りました。

【広島研修を終えて】
私は広島研修に行くまでは、少し軽い気持ちで研修について考えていました。しかし、実際に広島に行き、ボランティアガイドで案内をしてくれた方々の話を聞き、いつしか真剣に考えるようになっていました。私たちと同じくらいの年齢の子どもたちが、授業を受けずに建物疎開をしていたり、食べ物が不足し満足な食事が得られなかったりしていたということも知りました。お話を聞いて、当時と比べると今の私たちはとても幸せだと感じました。また、戦争の被害にあったのは人間だけではなく、動物や植物にも大きな被害を受けたことも知りました。二度と平和を失わないよう、平和な時代が続いていくように自分にできることをしていきたいと思いました。

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