伊勢湾台風から令和6年9月26日で65年が経過しました。このコーナーでは、現在ガイドボランティアとして活躍しているメンバーの被災体験を紹介します。
◆(6)様変わりした故郷
午後9時半ごろにサイレンが鳴り、消防団の方に堤防が切れたので避難するよう言われ、家族で南部保育園(現在の竹長押茶屋の位置)に避難した。翌日、両親に内緒で木曽川の堤防まで様子を見に行った。弥富側の堤防は切れていなかったが、長島や木曽岬は一面水に浸かっていた。後日、流れ着いた遺体を大人たちが並べて穴を掘って火葬していた。
その後は自衛隊のジープに乗せてもらい、木曽川の堤防沿いにずっと北上して、祖父江(現稲沢市)で家族と合流して長野県の祖父の家に疎開した。現地の学校に2カ月半通ったが、友達もできて遠足など楽しい思い出もできた。弥富に帰るときはお別れがさびしくて泣けてくるほどで、弥富に帰った後も友達と文通をした。
弥富に帰宅すると、周囲の風景がすっかり変わっていた。両親は干潮のときに家に荷物を取りに行ったり片付けをしたりして、潮が満ちてきたらまた避難して、大変だったと思う。後に同級生と自転車に乗って鍋田干拓の様子を見に行ったが、すっかり水が引いて3階建ての復興住宅ができていた。
現在はガイドボランティアとして活動する中で、伊勢湾台風の体験談をお客さんや子どもたちに語り続けている。
高橋忠、当時桜小学校5年生
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