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自治体の皆さまへ

教育の広場

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愛知県弥富市

■十四山東部小学校
地域の皆さんに助けられてできる授業・行事がたくさんありますので紹介します。

◇1年・動物ふれあい教室
動物病院の獣医さんを講師にお迎えして、うさぎと触れ合いました。

◇4年・福祉実践教室
障がいをもつ方と交流しながら、手話・ガイドヘルプ、車いすなどの支援の仕方について、学びました。

◇5年・田植え、稲刈り
JAのご協力のもと、田植えから稲刈り・脱穀までを体験しました。収穫したお米を給食のごはんとして炊いてもらい、おいしくいただきました。

◇6年・市長出前授業
市長さんを講師にお迎えして、弥富市の治水について学びました。たくさんの質問に丁寧に答えてもらえました。

◇2年・町探検
町探検にでかけ、「東部児童館」「郵便局」「子宝駐在所」を訪れ、働く人のお話を聞いたり、秘密を見せてもらったりしました。

◇3年・地域学習
地域学習として、「ビッグエクストラ」「三つ葉農家」「海部南部消防署」に見学に行きました。貴重な体験もさせてもらえました。また、民謡クラブの皆さんに「十四山音頭」の踊り方を教わりました。

◇スクールガード・昔遊び集会
1・2年生だけでの下校に付き添っていただいているスクールガードの皆さんに、昔の遊びを教えてもらいました。

■栄南小学校
栄南小学校では、児童同士や地域とのふれあいを中心にして、「絆」づくりを大切に活動しています。それらの活動を通して、子どもたちは健やかに成長しています。

◇地域とのふれあい
地域の方に、サツマイモ作りを指導していただいたり、地域の話や昔の遊びを教えていただいたりしました。感謝の会では、手作りのサツマイモ菓子を振る舞いました。

◇交通安全教室
警察や運送会社の協力を得て、交通安全に対する意識高揚を目指しました。トラックなどの大型車両の特性や危険性を知り、自他の生命を守る行動について学びました。

◇「にっこりんタイム」
かかわりの力を育む活動「にっこりんタイム」は、月曜日の5時間目に全校一斉で取り組んでいます。2~4人のグループで、コミュニケーションスキルを高めています。

■広島研修

◆広島研修から学んだこと
十四山中学校 近藤 はな

【広島】
8月6日8時15分、広島に原爆が落とされました。原爆によって亡くなった人は約14万人にも及び、それはとても驚異的なものでした。爆発や放射能、建物の崩壊などで多くの人々が苦しみ、命を落としてしまったのです。世界で初めて原子爆弾が落とされた広島。そこで私たちは、8月6日に起こってしまったことを通して、戦争とは何か、平和とは何かを学んできました。

【楮山ヒロ子さんの願い】
今ではとても痛々しい原爆ドームですが、かつては広島市民が行きかっていた活気のあるデパートのようなものでした。しかし原爆投下後、変わり果ててしまった原爆ドームは、大切な家族を失った広島市民にとって心を暗くさせるものでした。「原爆ドームを見たくない、壊してほしい」そんな声も多く上がりましたが、ヒロ子さんの思いは違いました。ヒロ子さんは、「もしこの原爆ドームが壊されたら、大人たちが再び戦争を起こし、罪もない子どもたちが亡くなるだろう」と手紙を残しました。そしてヒロ子さんの考えを後押しするように同級生が署名活動を始め、子どもから大人へ、考えが変わっていきました。

【広島研修からつなげる平和】
しげるくんの弁当箱の他にも、とても印象に残る展示物や資料がたくさんありました。原爆によって後遺症をもった方々の写真や多くの遺品が、原爆と戦争の悲惨さを物語っていました。ですが、世界では核を持っている国がいまだに多数あります。それに、戦争や紛争も、いまだになくなっておらず、たくさんの人たちが家族を失い、つらい思いをしています。これは日本にも無関係ということはありません。北朝鮮のミサイル問題など、いつ戦争が起こってもおかしくない状況にあります。二度とあんなことが起きないように私たちはもう一度平和について考え、守っていかなければなりません。

◆平和学習を終えて
十四山中学校 向井 智慶

【平和記念公園を訪れて】
1945年8月6日8時15分、広島に一つの原子爆弾が落とされ多くの尊い命が失われました。この原子爆弾は600メートル上空で爆破し、地上を3000度の熱が襲い、原爆ドームはその影響を直接受けました。原爆ドームはもともと広島県物産陳列館という県の物産品の展示や販売を行っている場所で、ベンチなどで人々が休む、憩いの場となっていましたが、天井は溶けて柱が吹き飛び、今のような恐ろしい姿になってしまいました。それから何年も放置されていましたが、原爆のことを後世に伝えていくために残してほしいという声が高まり、今も大切に保存されています。

【平和記念資料館で学んだこと】
平和記念資料館では特にしげるくんの黒こげになった弁当箱が印象に残っています。この弁当箱は、しげるくんを探しに来た母親のシゲコさんが、遺体の下から見つけたものです。弁当箱の中には畑で初めてとれた野菜が入っていましたが、食べることはできませんでした。他にも原爆によって亡くなった子どもたちの三輪車や服、水筒などの遺品が展示してあり、自分と同じくらいの子どもたちが大勢亡くなったと知り、衝撃的でした。また、折れ曲がった自転車や溶けたガラスなどは原爆の恐ろしさを物語っていました。

【感想・心に残ったこと】
今回の広島研修で原爆ドームや多くの写真、絵などの資料を見たことで、さらに戦争についての知識が深まり、戦争は二度としてはいけないという気持ちが強まりました。戦争のことを後世に伝えていくには、まず知ることが大切だと思いました。特にしげるくん弁当など、子どもたちの遺品を見たことで、大勢の子どもたちが亡くなったことを知り、なぜ戦争には関係ない子どもたちが死んでしまったのか、不思議に思いました。何も生まない戦争を二度と起こさないためには一人一人が戦争について知り、この悲劇を忘れずに心に留めておくのが大切だと思いました。

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