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再発見!わがまちの文化財・施設紹介 vol.221

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愛知県新城市

■大通寺と別れの水盃(みずさかずき)
大通寺(だいつうじ)は、長篠城跡から徒歩約5分の位置にある寺院です。また、この寺院の裏山には「盃井(さかずきい)」という呼称で地域に親しまれてきた井戸が現存しているのをご存知でしょうか。
この井戸に呼称が付けられた理由は、天正3年(1575)長篠・設楽原の戦いの時に遡ります。当時、大通寺には長篠城攻めのために武田軍の馬場信春(ばばのぶはる)をはじめ、武田信豊(たけだのぶとよ)、小山田昌行(おやまだまさゆき)などの諸将らが約2,000人の兵が配備されていました。
戦いの最中、武田勝頼(たけだかつより)が陣を置く医王寺山では、織田・徳川連合軍と対峙する軍議が開かれました。馬場信春らもこの軍議に参加し、決戦回避を主張していたそうですが、勝頼は長篠城攻めに続き、設楽原にも進軍することを決定します。
馬場信春は内藤昌豊(ないとうまさとよ)、山県昌景(やまがたまさかげ)、土屋昌次(つちやまさつぐ)らを自分の陣所である大通寺に集めると、今までの交友に感謝し、設楽原での健闘を誓うため、建物の裏山にある井戸で別れの水盃を交わしたという伝説が残っているのです。これにより、その井戸は盃井と呼ばれるようになったとされています。
長篠・設楽原の戦いから450年経った現在でも、盃井には絶えることなく水が湧いています。皆様も是非立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

問合せ:長篠城址史跡保存館
【電話】32-0162

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