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再発見!わがまちの文化財・施設紹介 vol 215

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愛知県新城市

■浄土宗を信仰する徳川家と大善寺の関わり
徳川家康といえば浄土宗の教えである『厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)』を座右の銘としていました。戦いの時には旗印として使用され、令和5年度の大河ドラマ「どうする家康」でも大きく取り上げられていました。
さて、新城市にも家康が終生信仰した浄土宗の寺院として深い関わりのある大善寺があります。大善寺は家康の長女である亀姫とその夫、長篠・設楽原の戦いで功を上げた奥平信昌(おくだいらのぶまさ)が天正5年(1577)に建立しました。亀姫は長篠・設楽原の戦いの戦没者の供養と、母・築山御前の供養を大善寺で執り行うようになりました。また、大善寺の山門や土塀などには徳川家の家紋である三つ葉葵が施されています。江戸時代では、三つ葉葵紋を使用することは厳しく制限されていたのですが、その家紋の使用が許されたということは、ここが徳川家にとって大切なお寺であると認められていたことが分かります。
安政7年(1860)には今の新城市栄町で発生した大火災によって焼失し、現在の姿で再建されました。
なお、今でもこの大善寺の境内には亀姫のお墓がひっそりと佇み、そして大善寺がある入船の通りには「亀姫通り」の愛称が付けられています。
大善寺は徳川家にとって、そして新城市民にとっても馴染み深い場所として息づいているのです。

問合せ:長篠城址史跡保存館
【電話】32–0162

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