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愛知県東郷町

■諸輪にもあった?丹羽氏ゆかりの城(前編)
4月号は、丹羽氏重の居城・傍示本城(ほうじもとじょう)についてのお話でしたが、東郷町にある丹羽氏の城は傍示本城だけではありません。実は諸輪にも丹羽氏の城が2つありました。今回はその一つである諸輪北城(もろわきたじょう)(上城(かみじょう))についてお話しします。北城は諸輪後山、現在の上城さくら公園の南あたりに存在しました。この公園の名も城跡にちなむものです。江戸時代の地誌からは堀や土塁が残存していたことがうかがえます。しかし、現在周辺は宅地化され、城の遺構の状況は不明ですが、小高い地形に城跡の面影を感じることができます。
北城には氏重の祖父・氏識(うじさと)が居城していたと江戸時代の記録に残ります。氏識は2代目岩崎城主で尾張の織田氏、三河の今川・松平氏の間でうまく立ち回り、丹羽氏の勢力を拡大した人物です。1551年(天文20年)、分家の氏秀(うじひで)との対立で起きた横山の戦いでは、織田信長の先軍を打ち破ったとも伝わります。氏重だけでなく、おじいさんも武勇に優れた武将であったというわけですね。そんな氏識に思いを馳せることができる貴重な場所があります。それは諸輪中市にある清安寺です。清安寺は氏識が1534年(天文3年)に創建した寺と伝わり、山号の「道休山(どうきゅうざん)」は氏識の法名「道休(どうきゅう)」からきています。氏識は晩年、北城で隠居生活を送ったともいわれます。氏識にとって諸輪という地は、過ごしやすい場所だったのでしょうか。このように丹羽氏が東郷町で生きた証は、今でもしっかり残されているということですね。次回も丹羽氏ゆかりの城(後編)で諸輪中城(もろわなかじょう)と氏重にまつわる伝承をご紹介します。
[文]岩崎城歴史記念館 学芸員 内貴健太

問い合わせ:生涯学習課
【電話】0561-38-7780

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