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愛知県東郷町

■諸輪にもあった!丹羽氏ゆかりの城(後編)
5月号では、諸輪北城(上城)を紹介しましたが、今回は丹羽氏のもう一つの城、諸輪中城についてお話しします。中城は、諸輪中市、5月号で紹介した清安寺の東あたりに存在しました。江戸時代の地誌(※1)には、堀が残存していたとありますが、現在の城の遺構の状況は不明です。中城は、傍示本城の城主でもあった丹羽氏重の居城と伝わります。そんな中城には、氏重の暮らしを物語る伝承があります。なんと氏重には美しい側女・おくらとその子ども・市兵衛(いちべえ)がおり、氏重は二人を城の近くに住まわせていたというのです。この時16歳の氏重に、すでに妻子がいたとは驚かされます。岩崎城が落城した後、諸輪でも丹羽一族の残党狩りが行われたといわれます。二人は隠れていましたが、市兵衛が氏重の子と判明し、斬られてしまいます。おくらは悲しみで泣き続け、ついには亡くなってしまいました。気の毒に思った村人が二人を中城近くの藪(やぶ)の中に埋めて供養したため、それからこの藪は市兵衛藪(いちべえやぶ)、のちに「市藪(いちやぶ)」(※2)と呼ばれるようになったと言い伝えられています。市藪であったと思われる場所は、現在住宅や駐車場になり、昔の面影は残っていません。しかし、現地には今でもおくらが信仰していたとされる稲荷社があり、氏重とおくらの穏やかな生活の記憶を今に伝えています。次回は小牧・長久手の戦いと祐福寺の意外な関係についてご紹介します。

※1 「尾張志」1844年(天保15年)
※2 現在、「市藪」という呼称は残っていません。
[文]岩崎城歴史記念館 学芸員 内貴健太

問い合わせ:生涯学習課
【電話】0561-38-7780

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