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とうごう 歴史発見!魅力発信!! 最終回

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愛知県東郷町

■小牧・長久手の戦いと東郷町(後編)
諸輪中木戸西にある丹羽塚、そこには「丹羽福誠之墓」と刻まれた石碑が建っています。昭和41年(1966)の土地改良まで南木戸西には「丹羽山」と呼ばれる小高い山があり、山頂に塚がありました。諸輪御嶽神社の御嶽教の先達が語り継いできた話によれば、塚に眠るのは「丹羽福誠」だといい、明治40年(1907)、地元の有志が伝承のとおり、丹羽家の遺跡として福誠の碑を建立しました。以来、「丹羽さんのお祭り」として塚の前で相撲などが奉納されたそうです。丹羽山の整地に伴い、石碑は現在地へ移されましたが、御嶽神社では今でも丹羽祭が行われています。しかし、この福誠という人物は丹羽家の系図には存在せず、生きた時代も判明していません。現在、神社には「福明霊神」と「明誠霊神」の碑があり、福明霊神の碑には丹羽家の家紋(丹羽扇)が刻まれています。御嶽信仰との関係は依然分かりませんが、これらの碑が気になるところです。また一説には、丹羽塚は長久手(岩崎城)の戦いに敗れた武士が葬られた塚とも伝わります。諸輪では丹羽一族の残党狩りが行われ、和合一帯も放火されるなど、この時の伝承も多く残ることから、言い伝えに信憑性がないわけではありません。東郷美化センター南辺りにあったと言われる「隠狭間」と呼ばれた地は、和合が放火され、逃げてきた人々が谷に隠れたことに由来します。蚊谷上池(※土地改良で消失)・下池が造られた経緯もこの時の放火に関係するとした伝承もあります。
これまで東郷町と小牧・長久手の戦い、丹羽家とのつながりを紹介してきました。東郷町は家康と秀吉の一大合戦と関わりの深い町だということを、少しは知っていただけたでしょうか。この先もそんな地元の歴史を大切に語り継いでいただければ幸いです。
文:岩崎城歴史記念館 学芸員 内貴健太

問い合わせ:生涯学習課
【電話】0561-38-7780

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