昭和29年10月に旧武豊町と冨貴村が合併し、現在の武豊町が誕生しました。
令和6年10月に70周年を迎え、町民とともに歩んだかけがえのない70年を写真とともに紹介します。
◆役場~武豊駅周辺
・昭和30年 武豊町役場(移設前)
・昭和39年 武豊町役場(移設後)
長尾山の土取り地跡に鉄筋3階建ての新庁舎を建設。中央の塔は、当時の長尾山の高さ(32m)を示している。
・昭和38年 役場屋上からの景色
・昭和28年 武豊橋(金下付近)
昔は木造の橋でした。昭和29年にコンクリート橋へ工事が行われました。
・昭和15~20年ごろ JR武豊駅
昔は役場庁舎(右の建物)が近くに建っていました。殉職をした高橋煕君の銅像は昭和29年に建てられました。
・昭和10年ごろ みゆき通り(中川清宏さん提供)
昔からこの辺りは住宅が多く、畑もありました。今は商店街となっていますが、中央道路は昔と変わっていません。
※詳細は本紙P.2をご覧ください。
◆町内全体
・昭和29年ごろ 富貴中学校(移設前)
旧冨貴中学校があった場所は現在、富貴小学校のグラウンドになっています。
・昭和29年 旧武豊町庁舎(写真の丸岡さん提供)
武豊町と冨貴村の合併記念で行われた行事の様子です。住民が合併を祝い、行進しました。
・昭和46年ごろ 日油前(甚田付近)(大嶋宜行さん提供)
昔は線路があって火薬を運んでおり、なんとその踏切は手動で上げ下げしていました。
・昭和59年 壱町田湿地
壱町田湿地植物群落が県文化財に指定されました。
・平成元年 武豊騎手が一日町長として来庁
町内をオープンカーでパレードしました。
・平成6年 第1回 ふれあい山車まつり開催
衣浦小学校に11台山車が集結しました。
※詳細は本紙P.3をご覧ください。
◆武豊町制70周年を祝い記念誌を作りました!
武豊町の過去から未来、町の70年の歩みをご紹介。庁舎ロビー、施設等に配布してあります。
ぜひ、ご覧ください!
◆70歳の武豊人(たけとよびと)にインタビュー
◇三井雅晴(みついまさはる)さん
ロッテの投手としてプロ野球新人王を受賞。
〇穏やかな町の雰囲気がいつまでも続いてほしい
生まれも育ちも武豊町。現在は知多武豊駅前にある「たこやきよっちゃん」の厨房に元気に立っています。
幼少期は野球少年として過ごし、中高は野球部に所属、その後プロ野球の世界に進まれました。ロッテに入団し、一年目から一軍投手として活躍し、1974年にはプロ野球新人王を受賞。当時、地元の子どもたちがサインを求めて、三井さんの実家に殺到したそうです。プロ野球で10年間活躍された後、27歳で引退。
2年間の八百屋修行を経て、30歳で武豊町に戻り、家業であった八百屋(当時ハイマート)でお仕事を始められました。当時、東京から武豊町に帰る道中、名鉄電車に揺られながら、車窓から見えるのどかな地元の風景を今でも覚えているそうです。
これからもそんな武豊町の穏やかで、温かい雰囲気を継承していってほしいと語る三井さん。「70歳過ぎても厨房に立たないとな~」と話す笑顔が印象的でした。
◇細川敦子(ほそかわあつこ)さん
武豊町防災ボランティア
リトルフット、いっぽの会などの地域活動に取組む
〇地域ごとを自分ごとに
生まれも育ちも武豊町。現在は防災ボランティアを始め、様々な地域活動に取組まれています。
生まれた当時は、「赤ちゃんコンクール」で、知多地区1位になるほど元気で丈夫な赤ちゃんでした。しかし、9歳の時にお母様がなくなり、兄弟の面倒をみながら、家事・勉学と大変な苦労をされました。その時に、地域の人の助けを借りて、地域に育ててもらったそうです。そういった経験が、今の活動につながっていると語ります。当時にお世話になった人には還元することはできないけど、今地域で困っている人の力になりたい、その想いが原動力になっているそうです。
武豊町には、自分の想いをカタチにしやすい雰囲気と環境があると語る細川さん。これからも地域ごとを、自分ごとに、そして楽しんで、活動に取組んでいきたいそうです。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>