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碧南の歴史へのいざない

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愛知県碧南市

■No.102水辺の記憶(1)~渡し舟で油ヶ淵を渡る~
油ヶ淵は碧南、安城市に囲まれた、面積では県下第二、海水と淡水が混ざる県内唯一の天然湖沼です。
『鷲塚小学校の百年』に、明治、大正から昭和初期の遠足の思い出として、「東端へ油がふちを渡し舟でわたって桃の花見にいった。」という一文があります。
江戸時代、明和元年(一七六四)に西端の領主本多忠栄(ただなか)は伏見奉行に任ぜられると、村に桃の苗木を送り宅地に植えさせました。明治五年(一八七二)に畑に果樹を植えることが解禁され、桃の木は一気に広がりました。
明治二十七年(一八九四)発行『碧海郡地理歴史』には、東端・西端両村には多くの桃が植栽され、花の季節になると見渡す限り紅の雲のようで素晴らしい景色であると記しています。続いて、「油ヶ淵を渡りて新川町に上陸す」とあるので、船で渡るイメージです。
『近藤坦平(こんどうたんぺい)物語』(碧南市史料別巻四)の中でも、明治二十一年(一八八八)のこととして、鷲塚で開業医をしていた坦平が一家でしゃもじ池の船着き場から船に乗って油ヶ淵を渡り、西端の蓮如(れんにょ)さんに出かける場面があります。
この「西端の蓮如さん」とは、西端の応仁寺(おうにんじ)で行われている浄土真宗本願寺第八世蓮如(一四一五〜九九)をしのぶ法要のことです。ここにはいろいろな店が出て娯楽の場でもありました。

『碧海郡地理歴史』・(明治27年発行)
※5行目の油ヶ淵成立の説明の補足:慶長10年(1605)に矢作川河口が付け替えられ、土砂が堆積し、数十年後には、米津・鷲塚間に堤防が築かれたために三河湾の入り江「北浦」が湖沼となりました。

問合せ:文化財課内市史資料調査室
【電話】41-4566

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