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三英傑の足あとをたどってVol.3

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愛知県碧南市

■豊臣秀吉朝鮮出兵の船を造船した地
◆称名寺の本堂が鍛冶場に!
豊臣秀吉による朝鮮出兵は天正二十年(一五九二年)に始まりました。その年の十月、豊臣秀吉は関白秀次に対し、その配下の大名たちに造船にあたるよう指示しています。
それをうけて、当時、岡崎城主を務めていた田中吉政は、朝鮮出兵の大船の建造を命じ、称名寺の境内で大船が造られました。その際、本堂が鍛冶場として活用されたそうです。大規模な事業だったことがうかがえるエピソードです。
では、なぜ、称名寺で朝鮮出兵の船の造船が行われたのでしょうか?当時の大浜地区は港町として大きく栄えていたからだと考えられます。問丸と呼ばれる物資の保管、輸送や取引の仲介にあたった組織があったのは、日本でも数か所であり、大浜湊はそのうちの一つだったのです。
造船に関するほかのエピソードとして、岡崎市にある犬頭(けんとう)神社には、岡崎城主田中吉政によって大杉が切り倒され、大浜にて船の材料にされたと伝えられていたり、篠島では大浜で建造された軍船に篠島の人々が乗って、朝鮮まで行ったと伝わっています。

▽称名寺の境内
大浜てらまち案内人が、豊臣秀吉に関する軍船造船のエピソードを伝えています。
▽朝鮮出兵に使われた安宅船(あたけぶね)模型(佐賀県立名護屋城博物館所蔵)

三英傑へきなんの公式Instagram(インスタグラム)(@hekinan_saneiketsu)では、碧南市と三英傑に関する情報を随時掲載しています。

問合せ:市観光協会
【電話】95-9894

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