■No.107水辺の記憶(6)~衣ヶ浦の海水浴場~
現在、産業道路が通り、臨海工業地帯が広がる地域は、昭和三〇年代(一九六〇年前後)まで遠浅の海でした。砂浜が広がり、北から南まで海水浴場が作られました。
新明石海水浴場は山神社の西に、新須磨海水浴場は名鉄碧南中央駅の西に、新浜寺海水浴場は臨海公園辺りに、玉津浦海水浴場は大浜熊野大神社の西に広がっていました。いずれも海水浴場としては近代に開かれた場所です。
特に大正三年(一九一四)に三河鉄道が大浜港(みなと)(現名鉄碧南駅)まで開通すると、遠来の客も加わってにぎわいました。新須磨駅(現名鉄碧南中央駅、踏切より南にあった)は当初、海水浴期間だけの営業でした。
日赤大浜児童保養所が大正一〇年(一九二一)から昭和三九年(一九六四)まで開設されました。県内の虚弱体質の児童が玉津浦海水浴場で楽しみながら体力を向上させました。
伊勢湾台風により大きな被害を受けましたが、翌年には再整備され、仮設舞台や貸しボート場もにぎわいました。
遠浅の海は潮干狩りにもよく、冬は粗朶(そだ)を立てて海苔の養殖をしました。豊かな海の恩恵を受けていたのです。
問合せ:文化財課内市史資料調査室
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