寒を過ぎたものの、まだまだ寒い日が続きます。しかし、日足は日に日に長くなっており、今月も中頃からフクジュソウの便りも聞こえてくることでしょう。「フクジュソウってお正月の寄せ植えに入ってるやつでしょ!もうとっくに花は終わってるんじゃないの?」あ〜、それは元旦に合わせるように開花調整しているものでして、本来は2〜3月に花が咲きます。
フクジュソウはヨーロッパから中国甘粛省(ちゅうごくかんしゅくしょう)、シベリア、中国東北部、朝鮮半島、そして日本にかけて生息するキンポウゲ科フクジュソウ属に分類される種(しゅ)で、日本には4種が自生しています。それぞれの地域にフクジュソウの種があり、微妙な違いがありますが、その多くは黄色い花を咲かせます。このうち中国と日本にあるフクジュソウは、どれも黄金色(こがねいろ)と呼ぶにふさわしい色彩で、それが富貴さや長寿の象徴として、中国でも福寿草(フーショウツァオ)、長寿菊(チャンショウジュー)などの名前が与えられています。ちなみに中国での正式名は側金盞花(ツァジンジャーンフア)(ソクキンセンカ)です。中国の伝説では、福寿草の呼び名に「福(ふく)」「寿(じゅ)」が有るのは、清朝(しんちょう)の乾隆帝(けんりゅうてい)が江南(こうなん)に巡行(じゅんこう)をした折、この草を撫(な)でたことに由来しているようです。乾隆帝は清の版図(はんと)を最大に広げたばかりでなく、その寿命も中国歴代皇帝第二位を誇ります。この行動は乾隆帝の優しさを示すとともに、撫でられた草にも神聖なイメージを与えることとなり、その呼び名が『福寿草』になったのだといいます。
しかし、乾隆帝の時代よりも一世紀程前、すでに日本には福寿草の名が登場しています。日本国内の記録では、俳諧(はいかい)の作法書(さほうしょ)『毛吹草(けふきぐさ)(正保(しょうほう)元年、松江重頼(まつえしげより))』の巻一序(かんいちのじょ)に「先立春ハ福寿草の花黄梅白梅乃色香もあら多ま里つついとお可し(まず立春には福寿草の花、黄梅(おうばい)、白梅(はくばい)の色香(いろか)も新(あら)たまりつついとをかし)」と紹介され、同じく巻二俳諧四季之詞(はいかいしきのことば)の正月に「福寿草元日草(がんじつそう)とも」とあることから、江戸初期には正月の句会で詠われていたことが窺われます。その後も『花壇綱目(かだんこうもく)』以下数々の本草書(ほんぞうしょ)や園芸書、そして浮世絵にも登場し、幕末の頃には正月を代表する花となっていました。
フクジュソウは高原や山林を生かした公園などで見ることができると思います。少し暖かくなったらお出かけの上ご観賞ください。ただし、キンポウゲ科の植物の例にもれず、有毒なので、触らないようにしましょうね!
執筆/愛知豊明花き流通協同組合 理事長 永田晶彦
※写真は広報紙30ページをご覧ください。
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