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「佐渡島(さど)の金山」 2つのエリアを巡ろう! (2)

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新潟県

■西三川(にしみかわ)砂金山
▽散策ポイント
中世から江戸時代にかけ、佐渡の砂金採取の中心として栄えた笹川集落。ここは現在も住民が生活する場所です。散策される際は、住民や他の来訪者の迷惑にならないようマナーを守りましょう。

(1)大山祗(おおやまずみ)神社・能舞台
砂金山の繁栄と作業の安全を願って1593(文禄2)年に建てられた神社です。社殿や関連施設は建て替えを繰り返しており、現在の社殿は1928(昭和3)年に再建されたものです。境内には19世紀後半に建てられた能舞台があります。

(2)金子勘三郎家
江戸時代後期から1872(明治5)年の閉山まで金山の世話役を務めた金子家の住宅です。世話役は金山役(奉行所派遣の役人)と集落との橋渡しを行い、村人(鉱山労働者)を取りまとめ、「大流し」の作業を差配しました。※現在、保存修理工事を実施中のため、敷地内への立ち入りはできません

(3)虎丸山
西三川砂金山最大の採掘場(稼ぎ場)跡です。現在も「大流し」によって掘り崩されたため露出した赤い山肌を見ることができる、砂金山のシンボル的な存在です。江戸時代の絵図には山の上下で採掘を行っていた様子が描かれています。
※落石等の危険があるため、離れての見学をお願いします

◆「大流し」とは?
▽堆積砂金鉱床…「大流し」砂金採掘法
西三川地区では、砂金を含む山の地層を掘り崩し、水勢を利用して砂金を採掘・選鉱する「大流し」という独特な採掘法が行われていました。現地には今も導水路・堤・配水路・採掘場・排水路など、「大流し」の全体像を示す遺構が良好に残っています。

■佐渡島の金山にまつわる伝統文化
▽無名異焼(むみょういやき)
相川金銀山では、坑内から鉄分を多く含む赤い土「無名異土」が採れました。もともとは止血などの効果がある薬として使用されていましたが、19世紀前半、陶土に混ぜて茶器や食器を焼くようになり堅い焼物である無名異焼を作ることに成功しました。

▽相川まつり
翁のお面を付けた豆蒔き(踊り手)が太鼓とともに鉱山町の街路をまわり、各戸の繁栄を願って桝を持って舞い踊ります。太鼓を叩くのは相川上町地区の大工町に住む金穿大工たちがつとめてきたもので、その所作は、鎚とタガネで鉱石を掘る様子を真似たものだとも言い伝えられています。

■棚田と金山
佐渡での稲作は、用水が得やすい平野の河川沿いから始まりました。16世紀末に入ると相川金銀山が発見され、全国各地から富を求めた人々が佐渡を目指し、人口が爆発的に増加しました。急増した人口のため、新田開発が促され、海沿いや海岸段丘の上から山間深くまで耕す佐渡独特な棚田の風景を作りあげました。今では世界農業遺産に登録され、美しい棚田は世界に誇れるものとなっています。

▽小倉千枚田
江戸時代に金山が繁栄し、人口急増による米不足を解消するために開墾されました。勾配が急で一枚が細長いことが特徴です。現在は棚田オーナー制を取り入れ、管理・保全活動に取り組んでいます。

▽片野尾棚田
海やその先に新潟市が見える棚田です。また、日本で最後に残った野生トキが生息した豊かな自然環境で、トキの餌場づくりや無農薬・減農薬米作りに取り組んでいます。

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