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良寛をたどる。

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新潟県出雲崎町

このコーナーでは、良寛記念館に所蔵されている良寛に関する作品をご紹介します。
良寛遺墨漢詩五首の内『擔薪下翠岑』

■原文
擔薪※下翠岑
翠岑路不平
時憩長松下陰
静聴春禽聲
※環境依存文字のため、置き換えています。正式表記は本紙をご覧ください。

■読み下し文
薪(たきぎ)を担(にな)いて翠岑(すいしん)を下(くだ)る
翠岑(すいしん)の道(みち)平(たい)らかならず
時(とき)に憩(いこ)う長松(ちょうしょう)の下(もと)
静(しず)かに聞(き)く春禽(しゅんきん)の声(こえ)

■意訳
薪を背負って草木の芽吹く緑の山を下りながら辺りを見ると、山道は、ゴツゴツとした山肌を見せていた。そんな山道の上り下りは転ばないよう注意が必要で大変難儀である。それで、時々、高い松の下で腰を下ろして休憩を取るのである。そんな時、どこからか、春の小鳥の声が聞こえてきたのである。その春の小鳥の声を私は耳を澄まして聞き、山に春がきたことを実感したのである。

■解説
良寛漢詩五首の歌切作品。本年度、新たに良寛記念館にご寄贈いただいた作品。書体は比較的若く、四十代に書かれたものと思われる。書家の金子鴎亭(おうてい)氏は、本作品類似の漢詩「歌切れ」について「書き始めから終わりまで一貫した筆跡で書けるということは、並みの修行ではないことが理解できる」と評している。良寛記念館では、同詩の草書作品(晩年の作)をすでに所蔵していることから、当作品の楷書(若書き)により、良寛の筆跡の変遷を楽しむことができる様になった。
当詩は、良寛の春の詩の代表作品と云われる。その所以は、当詩で良寛が春を感じさせる出来事を一つ一つ数える様に、丁寧に詠んでいることにある。先ず良寛は、薪を背負って山道を下っていると、草木の緑が目に付いたとある。さらに、いつの間にか雪が融けて、雪で隠れていた岩肌の凹凸が浮かび上がっていることに気づくのである。そして、最後は、春の小鳥の呼びかけによって、春が極まるのである。良寛の春の訪れを喜ぶ姿が伝わってくる。良寛がこれほどまでに春の訪れを喜び、待ち遠しく思うのは、それだけ五合庵の冬の生活が過酷で寂しいということなのだろう。また当詩は「擔(たん)・薪(しん)・岑(しん)・岑聞(しんもん)・春(しゅん)・禽(きん)」と語尾が「ん」で終わる撥(はつおん)音が多く使われ、リズミカルで小気味よい作品としても人気が高い。
右記の様に、良寛の春の詩として馴染み深い詩であるが、何処で詠まれたかは定かではない。そのことを示す様に、当詩の碑文は二か所に存在する。一つは五合庵近くの本覚院にあり、二つ目は良寛が修行した岡山県倉敷市玉島円通寺にある。燕市では良寛の「国上山の春の詩」とし、玉島では「修行で薪を運んでいる時の詩」と、それぞれ解釈が異なる。
本紙では、良寛が春の訪れを示す表現として「道平らかならず」と、詠んだことに注目して詠んでみた。良寛が「道が平でない」ことに春の到来を感じ取ったということは、冬の季節は雪で岩肌の凹凸が隠れて平らな道である、と詠めるからである。玉島では、雪は殆ど降らないと聞いている。
容易に結論は出せないが、本紙では良寛漢詩『擔薪下翠岑』は、雪で辺りが平坦になる雪深い越後で詠まれた詩と解釈した。
良寛記念館 館長

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