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自治体の皆さまへ

新年のごあいさつ 知恩報恩に 心寄せ

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新潟県出雲崎町

謹んで新春のご祝辞を申し上げます。お揃いで輝かしい新年を迎えておられることを慶び申し上げます。
過ぎし年を省みますとロシアによるウクライナ侵略は出口が見えず、イスラエルパレスチナガザ地区における軍事衝突の悲惨極まりない情景が連日放映され、一日も早い平和の訪れを祈る中、北朝鮮による軍事衛星の打ち上げをはじめ、40数回に及ぶ弾道ミサイルの発射に心休まることなく、またこれらの事件を巡る大国の覇権争い等、緊張感高ぶる年でありました。
国においても、所得税減税問題や相次ぐ不祥事に政務三役の辞任、政治と金を巡る問題が浮上する等、不透明さが増幅する中、諸物価の高騰、自然界においても地球沸騰時代で異常な酷暑、自然災害が多発し甚大な被害が発生する等、波乱に満ちた年でありました。かかる難局打開のために揺るぎなき信念と身を賭して国民の安全安心を政府に期待するものであります。
町も諸課題山積みする中、行政議会町民一体となったワンチームで対処して参りました。
●少子化対策…「未来へつなぐ子育て応援宣言」「子育てするなら出雲崎」結婚、妊娠、出産、子育ての支援を国に先行して取り組み4年連続転入超過、県内外から視察団多数。
●持続可能な農業対策…担い手不足、離農者の増加を受け、町として初の農業法人設立に向けて「作業受託協議会」「園芸品目協議会」を発足。2025年法人化を目指しスタート。
●農漁商工に対する支援…米価・漁価の低迷、商工会の組織強化、中小企業の事業継承へ支援。
●教育…公設学習塾のより充実した体制強化。
●妻入りの街並み活性化…がんばる街なみ支援助成金事業活用による多数の飲食店の出店。
●諸物価高騰への対応…プレミアム商品券発行、燃料費の助成。
●買物難民対策…海岸地区の移動販売。
●ヒラメ跡地への対応…長年にわたり荒廃し、観光にも暗い影を落とす中、国県漁業者の理解をいただき問題解消。
等々、全力を傾注して参りました。令和6年も楽観を許さず厳しい困難に直面する事も予測される中、去る11月20日に議会との新年度予算編成の意見交換会が開かれ、新年度に向けての基本方針を示しました。

■「街が人が輝き躍動する町」
(1)町民各位の安全確保に迅速かつ適切に対応するため、高齢者障がい者向けのエレベーター設置を含めた庁舎の増築
(2)地球温暖化への対応には「先づ隗より始めよ」の精神で、町の地球温暖化実行計画の第一歩として町民各位の電気自動車購入に補助金交付、公用車の配備
(3)福祉タクシーバス事業の拡充
(4)大門公営住宅の改築事業に着手
(5)子育てと健全育成として、ハードソフト両面の事業展開の強化、公設学習塾のさらなる充実
(6)後期高齢者向けの人間ドック、帯状疱疹ワクチン接種費用への助成
しかし今後も越後線をはじめとした公共交通への対応、地元開業医を含めた地域医療への対応、急速に進むデジタル化への対応、カーボンニュートラルへの対応など、一時たりとも気を抜けない激動の時代です。
このような中で、新たなる指導者に期待を込め、今期をもって勇退する事を表明し、意見交換会の翌日に新聞で報道されました。

■「知恩報恩」
昭和63年町長に就任し、9期・36年間の長きにわたり町民各位の力強いご支援ご指導を賜り、大過なく町政を進めて参りました。改めて厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。「恩を知り、恩に報いようとする人の心は距離も時間も超えて広がっていく。その念に立つとき、人間は最も気高く強くなれる」この意義を、清新の気、一杯に感じています。私の政治の師と仰ぐ田中角栄先生は、「リーダーの最後の判断は「公6分」「私4分」。最後は私心を譲り大義につくべし。そして常に鳥瞰俯瞰、時に大局を見ることが肝要」と語録を残されております。この度の決断に、今や「明鏡止水」の境地です。
省みますと、36年間町民各位の心に寄り添い、誠実謙虚におごることなく、李下に冠を正さず清潔に徹し、町の行く末に関わる重要な事柄にも「断じて行えば鬼神も之を避く」の精神で、保身を考えず自らの退路を断ち、批判を受けながらもブレることなく行動し、結果良しで終結いたしました。これもひとえに町民各位の良識があったからこそと感謝申し上げます。主たる事柄を挙げるなら、
●町の観光拠点計画を国県のお叱りを受けながらも白紙に戻し、天領の里が道の駅に指定を受け、あわせて夕日ライン橋建設とバイパス開通に繋がりました。
●竹下内閣時、自由に使える一億円が交付され、各自治体華々しい事業を進める中、小林虎三郎氏の米百俵の精神に学び、住宅団地造成に着手しました。
●バブル期、海岸背後地付近の山林を買収する大リゾート計画が示され、議会町民大方賛成の声が高まる中、砂上の楼閣と判断し、断固受け入れを拒否しました。
●稲川畜産団地を巡り、土地の利用に関してさまざまな動きがあり、町の将来が危ぶまれる中、国県とタイアップし、安全な公共関与のエコパークの建設を提案。町内からの反対の運動が高まり、百数十回におよぶ説明会では批判も含め数多くの意見がありましたが、結果として今日の安泰に繋がりました。
●てまり団地の造成についても、民間が77区画開発した住宅団地は十数年経てもほとんど売れない状況で、町が買い取り再造成することを提案。議会をはじめ激烈な反対を受けながらも、私が全責任を負うことで許可を得て、結果として町の中でも有数の賑わいを見せています。
昭和63年就任時の財政調整基金は4千4百万円でしたが、現状は22億1千万円と、町の財政も安定基調に入っています。
在任36年間、時には剣が峰に立ち、多種多様な課題に対処して参りました。町の将来に思いを寄せ、「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」と、時を逃さず電光石火のスピード感で全身全霊を捧げて参りました。しかし、最後は町民各位の良識の結集が今日の町政の安定に繋がっている事を肝に銘じ、長い間お寄せいただいた力強いご支援とご指導に深く感謝申し上げます。
勇退後は市井の人として町の発展を祈念しつつ、悠々自適、人生100年に挑戦して参ります。街が輝き人が輝き躍動する町の更なる発展を願い、町民各位のご健勝ご多幸を祈念して老兵は去ります。ただただ、感謝申し上げます。

出雲崎町長 小林 則幸

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