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良寛をたどる。

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新潟県出雲崎町

このコーナーでは、良寛記念館に所蔵されている良寛に関する作品をご紹介します。

良寛遺墨讃嘆詩『宿也奈伊津乃香聚閣早興眺望(一)』(出雲崎町指定文化財)

■読み下し文
也奈伊津(やないづ)の香聚閣(こうじゅかく)に宿(やど)り早(はや)く興(おき)て眺望(ちょうぼう)す
夕(ゆう)に向(む)かいて香閣(こうかく)に投(とう)じ 口(くち)を嗽(すす)いで青蓮(しょうれん)を禮(らい)す 一燈幽室(いちとうゆうしつ)を照(て)らし 萬像云俱(ばんしょうとも)に禅(しずか)なり 鐘聲五更後(しょうせいごこうのあと) 梵音林泉(ぼんおんりんせん)を動(うご)かす 東方(とうほう)漸(ようや)く已(すで)に白(しろ)く 泬寥(けつりょう)たり雨後(うご)の天高秋八九月(てんこうしゅうはちくづき) 爽気山川(そうきさんせん)を磨(ま)す 宿霧萬壑(しゅくむまんがく)に籠(こも)り 初日層巒(はつひそうらん)に上る寶塔虚空(ほうとうこくう)に生(しょう)じ 堂宇遠近(どううえんきん)に連(つら)なる

■意訳
「柳津の香聚閣圓蔵寺に宿し、早朝に景色を眺望す」
私は、夕方頃、香聚閣圓蔵寺に到着した。先ず、口を漱ぎ、虚空蔵菩薩に礼拝した。そして、一本の燈明が照らすお堂で、多くの仏像に見守られながら坐禅をしたのである。
翌朝、五更(午前四時)の梵鐘が鳴り、読経の声が境内に響いた。東の空は、ようやく白みはじめ、昨晩降った雨も、からりと晴れた。秋深まる八、九月のさわやかな涼しい風が、山と川の美しさをより鮮やかにしている。霧は谷に消え、朝日が山脈に昇り、天高くそびえる宝塔と奥行きのある伽藍の連なりを照らし出したのである。

■解説
良寛が、現福島県柳津町にある香聚閣(正式名 靈巖山圓蔵(れいがんさんえんぞう)禅寺)で詠んだ讃嘆詩。通称『柳津』。良寛が柳津を訪れた時期については、文化九~十四(一八一二~一八一七)年説と文政五(一八二二)年説がある。良寛の足跡研究の観点から、柳津に入り易いタイミングが文政五年であったため、この年の六五歳説が有力とされてきた。しかし、近年、柳津町出身の教諭小川茂正氏の研究により、圓蔵寺は文政元年に全山焼失しており、再建は文政十二年であることが顕かにされた。もし、良寛が、文政五年に圓蔵寺を訪れたのであれば、詩中の「一燈幽室を照らし萬像云俱に禅なり」と、多くの仏像が安置される堂内で坐禅することは叶わないのである。よって、現在は、文化九~十四年の五十五~六十歳説が推されている。
詩の初め「夕に向かいて香閣に投じ」からは、なんとか暗くなる前に、圓蔵寺に着くことができた、という良寛の安堵が窺える。また、詩中に「雨後の天」とある様に、夜に降ることになる雨を気にしていたようである。それらの理由から、良寛は、速足で圓蔵寺に入ったことが覗える。それで、喉も乾いたのだろう。良寛は先ず、口を清めるため、口を漱いでいる。そして、圓蔵寺のご本尊、虚空藏菩薩に礼拝し、そのまま坐禅をして、その日を終えている。そして、次の日の朝、良寛は疲労と雨降る夜の闇で見えなかった柳津と圓蔵寺の素晴らしい景色を目の当たりにするのである。
良寛は五更(ごこう)の梵鐘(ぼんしょう)で起床し、朝のお勤めに参禅する。その後、山脈に上る朝日を見たのである。そして、朝日に照らされた、柳津の山や川、圓蔵寺の宝塔(三重の塔)と白い岸壁に建てられた伽藍全体の姿を見て、譬えようのない感動を覚えたのである。それについて、良寛研究家の谷川敏朗先生は、良寛は「この世の浄土」に出遇ったと表現している。現在も圓蔵寺から見る只見川と優雅な山脈の景色は、多くの参拝者に感動を与えている。
良寛が柳津の風景を讃嘆した当遺墨がご縁となり、福島県柳津町と出雲崎町は、昭和六十二年に姉妹都市として交流がはじまる。それを記念して、柳津町の「月見が丘公園」には、良寛像と当遺墨の石碑が建立されている。
良寛記念館 館長

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