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良寛をたどる。

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新潟県出雲崎町

このコーナーでは、良寛記念館に所蔵されている良寛に関する作品をご紹介します。

良寛遺墨讃嘆詩(出雲崎町指定文化財)『宿也奈伊津乃香聚閣早興眺望(二)』

■読み下し文

■意訳
苔むした青い岩壁から滝が落ち、その白波は、遥か天まで届いた。私は昔から世俗を離れた場所を尊び、また求めてきた。私はここ、柳津の圓蔵寺にたどり着くまで、どれくらいの年月をさ迷ってきたのであろうか。今、私はこの地に来て、その美しさに言葉を失ったのである。一体、誰がこの柳津と圓蔵寺の景色を創造し、私に見せてくれたのであろうか。私は迷いの多い身である。そんな私が、本当に素直にこの詩を詠んでいる。
景色に見惚れていると涼しい風を感じた。私はふと我に返り、冬が来る前に早く越後に帰らねばと考えたのである。しかし、人間のいのちは、諸行無常である。おそらく私のこの年では、再び、柳津に来ることは叶わないだろう。そう思うと、越後への帰路に着くという気持ちが薄れてきたのである。私は、この地を去らねばならないと思いながらも時間が経つのも忘れ、ただ悠然と柳津の景色を眺めていたのである。

■解説
先月号の(一)では、良寛は主に圓蔵寺の造形美を讃嘆し、(二)では柳津の景色について詠んでいる。良寛は、圓蔵寺と柳津の景色を「夙昔遐異を貴び周旋知る幾年ぞ」と、昔からずっと追い求めてきた理想郷であると云う。また「高く塵埃の表を出で歌謡聊か自ら延ぶ」と、詩中の圓蔵寺、柳津の景色の美しさに誇張はなく、そのままを詠んでいると加えている。
圓蔵寺と柳津の景色を堪能する良寛であるが、涼しい風から冬の到来を感じ、越後への帰路が脳裏を過ぎる。良寛にとって柳津は、長年探し求めた理想郷であるが、永住しようとは思っていないことが分かる。帰る場所、居場所が無ければ生きられないのが人間である。極端に言えば、帰る場所が無ければ、旅行をするという概念も起きないのである。良寛は北海道以外の日本全国を行脚したと云われる。それが出来る根本には、良寛が帰る場所、故郷越後を大切に思っているからである。
しかし、人のいのちは諸行無常である。当時は「人間五十年」と云われた人生である。すでに五十歳半ばを過ぎたこの身では、柳津の景色を再び眺めることは難しいと思うと、良寛の身体は動かなくなるのである。この地を去らねばならないと頭では分かっているが、身体は動かない。それは、わたしの心が柳津の地に「錫杖を卓て」てしまったからと良寛は云う。そして、良寛は、こころが満足するまで、時も忘れて悠然と圓蔵寺と柳津の景色を眺めたと結んでいる。
良寛が感動した景色のある福島県柳津町では本年六月、全国良寛会発足以来初めてとなる、第四十六回全国良寛会柳津大会が開催される。多くの良寛ファンが当詩を詠み、良寛が感動した柳津の景色を堪能することだろう。
良寛記念館 館長

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