文字サイズ
自治体の皆さまへ

加茂の風土記「大正二年、北海道函館の商人 青海神社参道の石段改修費献納」

27/34

新潟県加茂市

大正二年(一九一三)九月二十一日、青海神社拝殿の正面に向かう参道、男坂と通称される石段の改修工事の竣工式がおこなわれた。式には小林謙二町長をはじめ町の有力者や氏子総代が列席し、集まった参詣者には紅白の餅がまかれ、新しい階段の完成を祝った。新築の階段は七四段で(現在は七七段)、材料の石は長岡産の御影石が用いられ、工事費は約七00円を要したという。なお取り払われた旧石材は、左脇のゆるい参道、女坂の石段に転用されている(以下『新潟新聞』大正2・9・22)。
この工事は、加茂町の出身で、北海道の函館市で建具・箪笥商人として成功した故山田平治の妻が、亡き夫の意思をつぎ、故郷の青海神社に工事費用を献納したことにより、実施されたものである。
文政三年(一八二十)加茂町の大地主市川正兵衛が小作米などを幕府の御用米として函館港へ送って以降、加茂町と北海道との交易の路が開かれていた。明治になって、北海道開発の進展にともない、加茂町産の建具や箪笥は道内各地で販売され好評をえていた。
箪笥類が北海道へ進出するようになったのは、明治十四年(一八八一)頃であるという。佐渡出身で函館に住む木島豊治と青木三郎が建具の仕入に加茂町へ来た際に、加茂の箪笥に目をつけ発注した(『新潟県南蒲原郡是附調査書』)。
明治三十一年(一八九八)三月、「加茂産の建具箪笥類は北海道より多数注文あるため、生産業者は皆喜色満面である」と新聞で報じられるほど活況を呈していた(『新潟新聞』明治31・3・16)。
北海道への輸送は主に新潟港から日本海を北上する船運を利用した。箪笥は完成品をコモで梱包して送るが、建具は組立仕上げをせずに桟や板の部品毎に梱包して発送する。荷物を受け取った現地の商人が建物に合わせて組立仕上げをする。このため組立技術を持つ加茂の技術者たちが北海道に渡って、加茂産の建具や箪笥の販売拡大に重要な役割を担っていた。山田平治もこのような商人の一人であったと思われる。
(長谷川昭一)

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU