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加茂の風土記 天保九年の巡見使(じゅんけんし)通行のための村並み修復

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新潟県加茂市

巡見使(じゅんけんし)とは、江戸幕府が将軍の代替わりごとに、諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために派遣した職名である。
天保九年(一八三八)の御国巡見使は、正使の木下内記(ないき)、副使の石尾織部(おりべ)、御目代の筧(かけい)新太郎の三人で、翌年五月に越後に下向した。下条村では、街道から見栄えの悪い家は、繕いなどして通行を待った。この繕いになった通りに面した二三軒の補修の内容をみると、下条西村で九軒、中村で十一軒、東村で三軒、合わせて二三軒であった。ほとんどの家で、庇(ひさし)の修覆や雪隠(せっちん)(便所)の屋根藁の葺き替えをしている。
巡見使の木下内記は、二千石の旗本であるが、この御国巡見は、天保七年九月に十一代将軍徳川家斉(いえなり)が引退し翌年四月に十二代徳川家慶(いえよし)が将軍となった。言わば代替わりによる恒例の発遣である。
普請の例を見ると、通り添いの下条西村の吉之丞の場合、板庇の行間(ゆきま)三間半(約六・三メートル)を大工三日間の作料に六〇〇文が掛かった。ちなみに現在の円に換算すれば、約一万二千円である。吉之丞の補修額は、平均的であったが、中には簡単に庇だけの修復や屋根の藁替えだけの銭二八〇文だけで済ます家もあった。
こうした普請額合計は、銭八貫七二〇文であったが、これらの費用は下条村・井栗村などが参加していた「八ケ村組合」の水利組合から支出していたとみられる。
(関正平)

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