■中嶋成夫(しげお)さんを悼む
南魚沼市長
林 茂男
塩沢商工会長の中嶋成夫さんが昨年11月に80歳で亡くなられました。「おーい、林君。いたか?」とよく市長室にもいらっしゃいました。あの独特な大きな笑い声で。時にこちらが心配することもあった艶めいた話も混じるスピーチや座談は人を魅了、豪放にして磊落(らいらく)。しかし、それは実は装いの姿ではないか、私は次第にそう思うことが多くなっていきました。美しいものが好きなんだよ、と言い、「絵画ならシャガール。田舎が嫌い。一流でなければだめだ」と言いながら、その奥底にあるこの地域を輝かせたいという信念が強烈でした。嫌味や損得の欠片もない、特に若い世代への檄(げき)。読書家で繊細なロマンチスト。多くの人に愛されました。
私の失敗の代名詞ともなった「自動車のご当地ナンバープレート」はまさに共闘した思い出のひとつ。推進の検討委員長に就いてくださり、候補名が「雪国魚沼」と決定し、次は図柄選定に。「絵は美人がいい。そう思わないか市長、銀河鉄道999のメーテルのような」その提案のセンスに息をのみました。雪国の繊細な美しさや湿度感、育み紡いできた文化や産品をイメージさせる象徴である雪の結晶や稲穂の絵ではなく。「この人は違う」と中嶋成夫という人を理解した。推進活動を断念したとき一番悔しがったのも故人だったことを同志として明記しておきたい。
ご自宅からの出棺の直前、鉛色の空は一転、母校早大の応援歌『紺碧(こんぺき)の空』のように。私は、昔読んだ「インディアンの教え」を思い出していました。「あなたが生まれてきた時、あなたは大声で泣いていたが周りの人たちは皆笑っていた。あなたが死んだ時、皆は泣いているがあなたは笑っている。そんな生き方をしなさい」という話。いつもの合掌黙念ではなく、牧之通りを埋めた会葬者の温かく鳴りやまない拍手と「成ちゃん、ありがとう」の声。そして、奥様と棺を乗せた車は後輩球児が待つ六高グラウンドを周回し斎場へ向かわれたのだと。名物だった母校卒業式での同窓会長としてのはなむけの言葉。晩年の数年は心に遺るものばかりでした。スピーチの最後は毎年違う歌を独唱。最期のそれは「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように~」。そしていつもの右手を挙げて「おわり!」ユニークな面白い先輩がまたひとりいなくなってしまった。安らかに。
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