■今昔
南魚沼市長
林 茂男
年明けから公務での上京が度重なりました。大雪の今冬、特に感慨が強くなっていることがあります。それは帰りの上越新幹線が、越後湯沢駅の到着直前に満員の車内に起こる感嘆を含む歓声のことで、久しく忘れていた情景。私が新幹線で首都圏と往来するようになったのは高校卒業後のことで(年に数回でしたが)、自身の青春期とあのバブル景気時代に重なります。当時、加山雄三さんの「湯沢旅情」のメロディが流れトンネルを抜けるや否や、ぱっと明るくなる車窓越しの雪景色に声が上がるのが常でした。平成4年をピークにスキーブームは影を潜め乗客数も激減。低迷期は長引き、それを見ることもなくなっていました。しかし、なんとそれが復活。インバウンド(外国人旅行客)によってです。昔見た光景が今。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。…(中略)…駅長さあん」あの文豪川端康成の『雪国』の冒頭、登場人物の「葉子」が叫ぶ、その頃は信号所だったという土樽駅から始まる小説。私なぞ何回読んでもテーマは理解できないでいますが、雪国の自然や風土の描写などは美しく、この強烈なはじまりの一文から引き込まれます。トンネル一つを隔てただけで明暗を分けるというか、環境が一変するという所は世界の降雪地域でも類をみないそうで、今それに憧れ求めてやって来る外国客。でも驚くこともないなとも。昔、それを求める日本人の多くは都会人。そのみなさんを迎え、出稼ぎ解消や豊かさを求めて懸命に働いた祖父母や父母、地域の先輩たちにしてみれば異邦人のようではなかったか、と。話す言葉も持ち込まれる文化性や華やかさも。まるでドラえもんの「どこでもドア」のような彼我(ひが)の別世界への入り口であり出口。私たちからは見れば開放感にあふれる青空の世界への。その恨めしいまでの思いからくる人口流失の系譜は今もなお続き、私たちはその流れに竿さお差そうと格闘しています。しかし今、「ゆきぐに」の持つ力に誇りも。あの歓声がもっと深化する時代、それを予見する思いなのです。
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