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妙高今昔物語 学校編

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新潟県妙高市

■旧矢代中学校
○スポーツの矢代土台を作ったグラウンド
大きなヒマラヤ杉と石造りの観覧席が象徴的だった旧矢代グラウンド。もともとは旧矢代中学校のグラウンドでした。
紹介者の山本さんは昭和41年3月の卒業。「45人で2クラス。300人近くが通っていました。教室が狭く後ろのほうは横になって通るほどでしたね」。ベビーブームの様子がうかがえます。
上中から旧矢代中学校までは片道40分ほど。新井中学校へ通う新井新田の生徒と毎日すれ違います。冬期は、かんじきで道付けをした一本道のため、どっちが道を譲るかで意地の張り合いもあったとか。小学校も隣接していたため「9年間。さんざん歩きました」と通学の思い出が一番心に残っているそうです。
その頃まで矢代地区各集落では節句と呼ばれる子どもの風習が残っていたそう。上中では、子どもたちが魚を焼いたり、女子がカレーを作ったりして川原で食べました。魚の捕り方や春先に川まで行くときの危険箇所などを6年生が下級生に伝達して中学へ進学したそうです。
矢代といえばクロスカントリースキー。実は、ジャンプ競技を広めた人もいて、菅沼にジャンプ台が設置されていました。選手のために、一般生徒が台の整備をすることも。

スポーツが盛んな矢代地区。子どもが少なくなっても、矢代地区の集落対抗の運動会は今も続いています。スキー大会も、三東上中(三本木・東志・上中集落)で形を変えて続けられています。矢代中学校のグラウンドは、その土台を作ったのかもしれません。

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