長岡花火の発展に大きく貢献した花火師の嘉瀬誠次さんが昨年12月14日、逝去されました。101歳でした。
嘉瀬さんは14歳で花火師の道に進みました。昭和26年、父・誠喜さんと共に戦後初めて「正三尺玉」の打ち上げに成功。長生橋の美しさを生かした「ナイアガラ」や慰霊の花火「白菊」、5カ所から一斉に打ち上げる「ワイドスターマイン」など、数多くの花火を生み出しました。’84年ロサンゼルス五輪の閉会式でも打ち上げ、平成28年には長岡市民大賞を受賞しました。
長岡の花火を世界に誇るまちの宝に育て、多くの市民に希望と感動、誇りを与えた嘉瀬さん。心よりご冥福をお祈りします。
◆平和への想い
昭和18年に出兵し、終戦から3年にわたるシベリア抑留を経て帰郷した嘉瀬さん。「生きて帰れなかった戦友のために菊のように真っ白な花火を手向けたい」と、平成2年にロシア・ハバロフスクで花火を打ち上げました。この花火「白菊」は、慰霊と平和を願う長岡花火の象徴となり、多くの人の心を動かしました。
嘉瀬さんは「白菊を見る人には、戦争で亡くなった大勢の方の冥福を祈る気持ちで、少し哀愁を帯びた静かな開き方を見てほしい」と話していました。
嘉瀬さんが花火づくりに込めた想いを取材した記事や動画をご紹介します。ぜひご覧ください。
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