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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(31)
スクーネル船乗り回し御用願い
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

◇スクーネル船の新造
幕末、ロシア使節が開国を求めて、軍艦で来航しました。ところが、下田湾に停泊中の安政元(一八五四)年、大地震による津波で艦は大破、その後、沈没してしまいます。
ロシア使節は、配下の技術者に、スクーネル船といわれる洋式帆船(はんせん)を新造させます。
その造船作業に、幕府は、日本の船大工を参加させました。
彼らが日本で初めて洋式帆船の造り方を習得し、その後、次々と造られます。

◇函館奉行所への御願い文書
この出来事に関係する、面白い文書が残っています。
二年後の安政三年、瀬戸内海塩飽島(しわくじま)の船頭が、函館奉行所のスクーネル船を使って海運業を行いたいと、願い出た文書です(写真はその冒頭部分)。
函館奉行所は、いち早く新型帆船を所有していたのです。
運航計画も添えてあります。年間四回運航し、積荷の運賃収入から乗組員の給金や諸経費を差引いて、百七十両を奉行所に上納する。公用の荷は無料。
一回目、エトロフから新潟まで鮭を運び、戻りの船で米・酒・塗物・木綿を運ぶ。二回目、カラフトから大阪まで魚の搾(しぼ)り粕(かす)を運び、戻りは、古着・小間物・木綿・油・酒・塩。三回目、小樽から江戸までニシン・カズノコ、戻りは木綿・古着・小間物。四回目、蝦夷地から江戸付近へ、塩鮭を運ぶ。こんな計画です。

◇最新情勢は庄屋から
この文書は、納税組合の幹部だった小見村庄屋平太郎が、新潟奉行所に詰めたときにでも、写したものでしょう。
村人たちが集まった際には、我が国の最新情勢を話して聞かせたのではないでしょうか。
西洋列強がやって来ていること、西洋式の帆船を日本でも造っていること、新式の船を乗りこなす船乗り衆がいること等々。
それも庄屋の大事な役目でした。

◇一統礼の惣代挨拶
私が上関の一統礼に参加し始めた二十歳の頃、総代さんの年頭挨拶は世界情勢や国内情勢から始まったものでした。
あれは多分、江戸時代のままだったのかもしれません。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQRから)
※詳しくは、本紙に掲載の二次元コードを読み取ってご覧ください。

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