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古文書でタイムスリップ

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新潟県関川村

■「江戸時代わが村の暮らし」(28)
村人の安心安全を守る「村定(むらさだめ)」
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)

◇村人が決める村の法律
江戸時代の村は自治が基本です。村の法律も村人が話し合って制定しました。それを「村定(むらさだめ)」とか「村極(むらぎめ)」などと言いました。
学級会で話し合って学級の決まりを作るのと、よく似ています。
寛政(かんせい)十二(一八〇〇)年の小見村の村定を紹介します。

◇「村定」の内容
・博奕(ばくち)は言うまでもなく、盗みは雑木林に限らず、すべて罰を与える。
・当人には罰金銭十貫文、五人組には銭五百文、親類には銭一貫文。博奕の宿を貸した者も同罪。
・博奕と盗みの二度目からは、所払い(村を追放)にする。
・庄屋・組頭は勿論、五人組・親類は常々油断なくよく目を配ること。
・この決まりは、村中で相談して決めたのだから、家の者や子どもへもよく言い聞かせ、間違いのないようにさせること。

◇連判の誓約書
・万一、違反する者が出た時は、この決まりの通りに処罰されても、村に恨みを持つことは一切ありません。
最後にこう書いて、村人二十三人が記名押印しています。宛先は庄屋平太郎殿。つまり、庄屋に宛てた誓約書の体裁をとっています。
村の法律は上からの命令ではなく、あくまでも自分たちで決めた約束事です。何しろ、村の自治は鎌倉時代から続く我が国農村の伝統です。

◇安心安全の確保
村定には罰則がついています。とりわけ、所払いは無宿人になるほかない恐ろしい処罰でした。
こうやって、安心安全な村の暮らしが守られていたのでしょう。
かつて、外出時に鍵をかける習慣などなかったものです。江戸時代がまだ残っていた証しだったのかもしれません。

(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQRから)
※本紙P13参照

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