■「江戸時代わが村の暮らし」(32)
御高札書上帳(ごこうさつかきあげちょう)(幕府の民政基本法)
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)
◇幕末の関川村は会津領
激動の幕末、徳川将軍に最も頼りにされた会津藩は多事多難。その財政支援のため、関川村をはじめ越後の幕府領の多くが、会津領に編入されました。
会津藩主は京都守護(しゅご)職を務め、新選組はその配下。ですから、もしかすると新選組隊士の給料には、関川村からの年貢分も入っていたかもしれません…それはさておき。
◇高札書き上げ提出の指示
会津藩代官所から新領となった小見村等へ、過去に出された幕府の高札を書き上げて提出するよう指示がありました。
きちんと保管してあるか、新領主側としては村の行政を試したかったのかもしれません。
小見組の五ヶ村は連名で四本の高札を書き写して提出しました(写真・冒頭部分)。
※写真は本紙またはPDF版に掲載されています。
◇幕府の民政基本法
これらの高札は、幕府の民政基本法とも言える法令で、教科書に出るくらい有名です。
年代順に、主な内容を簡単に紹介してみます。
(1)天和(てんな)二(一六八二)年
キリスト教禁止。内報者へは銀貨五百枚のほうび、隠したら重罪
(2)正徳(しょうとく)元(一七一一)年
親子・兄弟・夫婦・親類仲良く、奉公人には慈愛を。家業おこたらず、うそ・ばくち・けんか・人身売買は禁止
(3)正徳元(一七一一)年
火付け禁止。火事場で金銀等をひろい取ることも禁止
(4)明和(めいわ)七(一七七〇)年
徒党(ととう)(仲間の団体)・強訴(ごうそ)(大勢での訴え)・逃散(ちょうさん)(村からの一斉逃亡)の禁止。内報者へは銀貨百枚・苗字帯刀のほうび
◇江戸時代二百六十年の平和
現代の私たちから見れば、厳しい規制もあります。
しかし、戦乱・戦国の世が百四十年も続き、ようやくもたらされた江戸時代の平和。その基(もとい)となったのがこれらの法令です。案外、当時の人々には受け入れられたのではないでしょうか。
江戸時代が武士による厳しい農民統制の世だというイメージは、一面的です。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQR(本紙二次元コード参照)から)
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