■「江戸時代わが村の暮らし」(43)
鮭川漁・牛屋村との争い(2)
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)
◇またまた牛屋村との争い
鮭川漁の争いが、再び勃発しました。前回紹介した争いから二十一年後の文化十二(一八一五)年のことです。
ただし、今回訴え出たのは、どういうわけか小見村と湯沢村だけ。内容は前回と同じく「牛屋村が荒川を〆切って持ち網漁をしている。二十一年前の取り決めに違反しているので、止めさせてください」。
◇引き延ばし戦術
訴えは、水原代官所に受理されました。代官所は、牛屋村への呼び出し状を出しました。その書状は、訴えた側が代官所からもらって、相手の牛屋村へ示します。
ところが、牛屋村はそれを無視したようです。それで、小見村と湯沢村は、再度代官所へ訴えました。
「もう鮭漁の時期に入っています。このまま引き延ばされては、結局、鮭は川上に上らないまま漁期は終わってしまいます。どうか、早く牛屋村を呼び出して、〆切を取り払うように命じてください。」
◇〆切ってはいない
しかたなく、牛屋村は反論書(写真 ※本紙参照)を持って出頭しました。こんな内容です。
「自分たちがやっているのは、川〆切の漁ではなく、瀬繰りという杭囲みの漁です。川上の村には支障がないはずです。その証拠に、二村以外の村からは何の苦情も出ていません。だから、訴えられる理由はないのです。
小見村庄屋の平太郎は、今回だけでなく、しょっちゅう村々へ難癖をつけては訴訟を起こしていいます。どうか、二村の訴えは差し戻し、平太郎を懲らしめてください。」
◇訴訟好きの平太郎
この時の平太郎が、実は、文化三(一八〇六)年に田麦掘割訴訟で大騒動を起こした人物です。
その時も、今回同様、村々に難癖をつけている男だと悪態をつかれていました。しかし、結局、その時の平太郎の訴えは真実でした。
今回の結果がどうなったかは、残念なことに、これ以上の文書がなくて不明です。
ですが、この三年後にまたまた争いが起き、川上十八ヵ村が牛屋・金屋の二村を訴えました。その結果をみると、どうやら今回も、平太郎の訴えは真実だったように思われます。詳しくは次回。
(原文と解説は歴史館に展示、又は、下の本紙QRから)
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