■「江戸時代わが村の暮らし」(35)
安政六年 小見村の定免願(じょうめんねがい)
〜「歴史とみちの館」所蔵・平田家文書を読む〜
(村歴史文化財調査委員 渡辺伸栄)
ゴマの油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり、などと江戸時代の年貢(ねんぐ)の過酷(かこく)さが言われてきました。実際はどうだったのでしょうか。安政六(一八五九)年の小見村の定免願(じょうめんねがい)の文書(写真※本紙参照)を見てみましょう。
定免とは定額納税の意味です。江戸時代の当初は、その年年(としどし)の作況を見て年貢を決めていましたが、毎年では面倒だったのでしょう。期間を決めて豊作不作を平均した定額制が一般的になっていました。
安政五年でそれまでの十年間の定免期間が終わったので、新たに十年間の定免を代官所に願い出たのがこの文書です。
小見村の生産高は田が百十石余で、その年貢は四十一石余(三十八%)。畑の生産高は三十六石余で、年貢は十一石余(三十一%)。畑の作物は野菜等ですが、税は米に換算します。
十年前の定免願も残っていて、生産高も年貢も全く同じ数字です。江戸時代の年貢は、五公五民や四公六民などといわれますが、それよりも低くなっています。
しかし、代官所も中々渋く、期間更新の度に増税があり、十年前は米三合の増税だったようです。今回も増税の要請があり、それに対して小見村はこんなふうに答えています。
私たちの村は元来やせ地で作柄は良くないのに、これまで期間延長の度に増税に応じてきて、土地の質不相応に高い税になっています。だから、今回は前回と同額でお願いしたいのですが、どうしてもというので、難儀なのだけれども仕方がない。米七合の増税ということで、勘弁していただきたい。
勘弁という言葉には、よくよく考えてほしい、やめてほしいという意味があります。プラス何合かで攻防があって、結局、前回の三合にプラス四合の七合で村側が渋々折れた。そんな状況が読み取れます。
わずか四合。絞り取るとは、このことを言ったのでしょうか。これまで言われてきた過酷というのとは、どうも少し印象が違うような気もします。
以上は基本税の田畑年貢の話です。ほかにも細々とした税がありました。それは次回。
[原文と解説は歴史館に展示、又は、下のQRから(本紙参照)]
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