■額縁商八咫家(やたや)の看板
区民有形文化財 歴史資料
新富一丁目13番14号 郷土資料館
じっとよく看(み)る板(いた)の意味合いがある「看板」は、主に商家や商店において屋号・商品・職業などを表すツールとして用いられてきました。特に、商工業が発達して諸職商売の多様化が進んだ江戸時代には、看板による標示・広告・宣伝が一般的かつ効果的な手段として用いられ、その意匠や体裁にも工夫を凝らしたものが数多く作られました。使用場所は大きく屋内用と屋外用に分類されますが、その大多数は工芸や芸術的価値よりも広告媒体しての用途を第一義としているため、風雨や日差しなどの影響を受けながらも人目につきやすい場所に掲げられました。
今日では多彩な媒体・種類・方法による情報伝達が可能となりましたが、看板は時代が変わっても店舗の標示や信用を背負う「顔」としての意味合いと重みを有するモノであることに違いはないようです。今回ご紹介する「額縁商八咫家の看板」(昭和10年代の製作)は、商業看板としての技巧や趣向が凝らされたものであるとともに、店の理念や信用を示すような特徴が見て取れる歴史資料となっています。
当看板を背負ってきた「八咫家」とは、京橋区銀座四丁目7番付近(現在の銀座四丁目5番11号付近)で鏡・額縁の商いをはじめて以来、銀座地区(同地区内で数度の店舗移転あり)で1世紀以上にわたって営業を続けてきた額縁専門店(平成17年に大田区へ移転、令和2年に廃業)でした。絵画や写真などを収めて作品の鑑賞を容易にさせる額縁は、取り巻く環境から作品を遮って保護(保存額装)する機能があるだけではなく、補助的役割を担いながら対象が持つ個性や魅力を際立たせ、その価値を高める存在といえます。それ故に、個々の作品に対する知識や内容の理解を踏まえた調和のある額縁が求められることも多くあり、良質で格調高い額縁の製作・販売専門店として知られた八咫家では芸術家・文化人・料亭・美術館など多岐にわたるオーダーに応えてきました。
八咫家の木製看板は、木枠内(後補の補強)に固定された全幅305.5cm・全高54.5cm・全厚10.2cm(看板本体は幅299.4cm・高さ49.3cm・厚さ7.5cm)の資料で、幅は一間半(いっけんはん)以上もある長尺看板となっています。一枚板に生じやすい反りや干割(ひわ)れ(原木から製材した際の木の癖や乾燥等によるもの)を防ぐ目的もあり、もともと一枚板で製作された看板を19材に割り放し、これらを継ぎ合わせるようにして1つの看板をなしています。また、看板の上部には、横長の1材に蓮弁(れんべん)風の意匠を施した装飾部材が継ぎ合わされている点にも特徴があります。
看板の中央部分には、大きく字彫(じぼ)りされた屋号「八咫家」の描き文字(図案文字)が施されており、当看板が製作された時期(大正末期から昭和のモダニズム期)に用いられていた特徴的で視覚効果の高い美しいレタリングの文字が見て取れます。また、板面向かって右側に同様の図案文字で「創 業 明治二十八年」の字彫りがあり、向かって左側にはラテン語で「ARS VITA EST VITA ARS EST」の字彫りが施されています。この文字は「芸術は人生であり、人生は芸術である」という意味を表しており、八咫家の理念として大切に紡いできた考え方を表現したフレーズであると伝わっています。さらに、字彫り以外の板面に目を凝らすと、丸刀(刃の断面が半円形の彫刻刀)を用いて雲が渦巻く雲文(うんもん)(縁を呼び込み、縁が集う商売繁盛の吉祥文)を施したような、手の込んだ微細な彫刻加工なども見て取れます。
当文化財は、均整の取れた美しい図案文字を配した昭和初期のモダンな長尺資料であるとともに、店の理念を掲げて視覚的に訴求する特徴的な商業看板となっています。
中央区教育委員会
学芸員 増山一成
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