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いつまでも中野のシンボル~50年間ありがとう 中野サンプラザ

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東京都中野区

7月2日、50年の歴史に幕を閉じた中野サンプラザ。中野のシンボルとして、多くの方に愛され続けてきました。
今号では、その歴史を写真とともに振り返ります。

■サンプラザの歩み
1973年、雇用促進事業団(当時の労働省外郭団体)により「全国勤労青少年会館(愛称・中野サンプラザ)」として開館。
当時は、ホールやホテルの他、働く若者の福祉施設として、就職相談室、図書室、結婚相談所などが入っていました。
ホールでは、開館当初からさまざまなジャンルのアーティストがコンサートを開催。2000年には「音響家が選ぶ優良ホール100選」に選定されるなど、音楽の聖地としても愛されてきました。
その後、2004年に中野区と民間企業グループが共同出資した(株)まちづくり中野21がサンプラザを取得(現在は区のみが出資)。その子会社の(株)中野サンプラザが閉館まで運営していました。

・建設前のサンプラザ周辺。当時、高い建物はほとんどありませんでした
・開館当初のホール。360度客席に囲まれたアリーナ仕様にもできました

◇サンプラザの名前の由来
愛称は一般募集し、若さ満ちあふれるエネルギーの象徴「太陽:SUN」と、人々が集う場所「広場:PLAZA」が結び付き「SUNPLAZA」に決定。
民営化後は、愛称だった「中野サンプラザ」が正式名称となりました。

■こんなこともあった!50年の歴史からピックアップ
1973年:全国勤労青少年会館としてオープン
・全国の地方紙が読めるヤングフロア
・特設 ふるさと電話コーナー…3分間無料で通話できました
・現在の時計台の場所にはファイアボールが
・開館当初から成人式はサンプラザで

2004年:民営化 新生サンプラザ開館
・オープン初日にはお祝いのお花がずらり
・民営化後も大人気~幻想的な演出のチャペル
・こんな施設もありました…
8階には天空のテニスコートが
世代問わず人気のボウリング場も

2028年度:サンプラザのDNAを引継ぎ 新しい象徴が誕生
・2028年度 完成予定!…(仮称)NAKANOサンプラザシティとして、最大7,000人を収容するホール等を整備していきます。

■ゆかりのある方に聞きました~サンプラザの思い出・エピソード
◇約20年間心の込もった料理でおもてなし
中野サンプラザ
名誉総料理長
八重樫さん
顔なじみになったお客さんも多く、地域の応援をじかに感じていました。
大切にしてきたことは、おもてなしの精神。夏の風物詩として毎年開催していたサマービアバイキングでは、趣向を凝らした料理を提供する他、マグロの解体ショーなども企画。お客さんにも喜んでいただき、とてもいい思い出です。

・まちめぐり博覧会では、シェフ直伝の料理教室を開催。予約開始後、即満員になる人気イベントでした
・東日本大震災の時は被災地へ炊き出しに

◇35年前にサンプラザの神殿で結婚式
中野生まれ
中野育ちの
塩浦さん
白無垢・角隠しを着たいという妻の思いから、神殿で式を挙げました。当日は、入院中だった父も一時退院し参列。料理の変更や車いすの手配など、式場からの心遣いもあって、無事晴れ姿を見せられたのはうれしかったですね。
他にも、節目の祝い事はサンプラザで。もう利用できないと思うと、正直寂しいです。

・披露宴会場には約100人のゲストが

◇他にも
サンプラザへのあふれる思いを動画で紹介しています
区HPからアクセス

・ホールでライブをしたアーティストなどが思いを語ります

■まちのみなさんに聞きました~サンプラザへのメッセージ
・七五三から成人式まで、子どもの祝い事は全てサンプラザでした。子どもの成長を一緒に見守ってくれてありがとうと伝えたいです
・ライブで何度も利用しました。楽しい思い出がたくさん
・飛行機に乗っていた時、上空から見えたサンプラザ。何だか感動しました
・クリスマスの装飾を見るのが毎年楽しみでした。見られなくなるのは寂しい

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