区内には、名所旧跡や文化財が数多くあります。今号では、江戸時代以降の桃園周辺の歴史をご紹介。身近にある中野の歴史に触れてみませんか。
■徳川吉宗ゆかりの「桃園」
江戸時代、8代将軍徳川吉宗は鷹狩りで度々中野を訪問。中野3丁目一帯を気に入り、そこに紅白の桃を植えるよう命じたことが「桃園」の由来に。江戸後期まで花見の名所として広く知られていました。
その後の将軍、10代家治、11代家斉、12代家慶、13代家定も鷹狩りで中野を訪れています。
■江戸時代の中野駅周辺は犬が暮らす「犬屋敷」
一~五の囲は、5代将軍徳川綱吉の時代、「生類憐(あわれ)みの令」により、野犬を保護するための犬屋敷(お囲い)があった場所。このお囲いは約100haに及び、30万頭の犬が飼育されていたという記録も。
「お囲いの1年間の総経費は約122億5,000万円!」
◆犬以外の中野にゆかりのある動物たち
▽牛
新井天神 北野神社(新井4-14-3)
学問の神様、菅原道真を祭る神社。天神様のお使いと言われる牛の像は、たくさんの方になでられてピカピカに。
▽象
象小屋の跡(本町2-32 朝日が丘公園内)
徳川吉宗の希望でベトナムから連れてこられた象。日本中の話題となった後、中野村の源助がもらい受け、ここで飼育しました。
▽猿
松源寺(上高田1-27-3)
昔、住職が渡船に乗ろうとした時に猿に引き止められたおかげで難を免れたという話から、「さる寺」と親しまれています。
☆猿の石像は補修中のため、春頃まで見られません
■130年以上前からまちの発展を支えてきた~中野駅
1889(明治22)年、新宿・立川間に甲武鉄道(現JR東日本中央線)が開通して中野駅ができました。当時の駅舎は現在の約100m西側で、1929年に現在地に移転しました。
「開業当初、中野・立川間は50分掛かりました」
■かつては田畑に水を届けるための用水路だった~桃園川緑道(中野3-11先~中央1-12先)
江戸時代中期、桃園川沿いは新田開発が進められ、大正末期には、関東大震災を契機に都市化が加速。耕地整理により流路が整えられました。
その後、桃園川は大雨の度に氾濫(はんらん)を繰り返して川沿いの地区に被害が。1967(昭和42)年、水路にふたがされ、緑道として整備されました。
■中野周辺で最初の公立小学校~桃園学校〔番外編〕
1875(明治8)年、桃園学校は宝仙寺本堂(中央2-33-3)に第三中学区第九番公立小学桃園学校として開校。その後、本町3-16-1へ移転し、1947年、桃園小学校に改称しました。
2019年、同校は向台小学校と統合し、中野第一小学校になりました。
「学校設立や維持、運営の費用は全て村民の負担。人々の教育への熱意に支えられていました」
■中野の昔をもっと知りたい方は
◇歴史民俗資料館(江古田4-3-4)
【電話】3319-9221【FAX】3319-9119
開館時間:午前9時~午後5時(入館は4時30分まで)
休館日:月曜日、第3日曜日
◇中野区ちいきの写真館
図書館HPで歴史写真を公開中。地域や年代などから検索もできます
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