■響き渡る木遣の唄声
音頭を取る「木遣師」と、受け声を出す「受け手」が掛け合いながら力強く唄い上げる「木遣(きやり)」。大人数で重い木材や石材を運ぶ際に、作業する人々の力を結集させるための合図として唄われてきました。八王子消防記念会が継承してきた木遣は、元治(げんじ)年間(1864~65年)に木遣師の本郷政(ほんごうまさ)が八王子の鳶(とび)職たちに伝授したと伝えられています。元々は鳶職の作業唄でしたが、やがて祭礼などで唄われるようになり、現在では出初式や髙尾山春季大祭、八王子まつりなどで披露されています。
毎月の稽古に加え、年に2回、善能寺太子堂(元本郷町一丁目)で全体稽古が行われます。数日かけて行われるこの全体稽古は、会員たちが声を合わせる貴重な機会です。大人数で声を合わせる際には、「てこ棒」と呼ばれる棒を用いて全員で調子を合わせます。
稽古が始まると、堂内には力強くも凜とした木遣の唄声が響き渡ります。この日の全体稽古には市民の方も見学に訪れており、「迫力ある歌声に圧倒された」といった感想が聞かれました。
昭和35年(1960年)には、市の無形民俗文化財(郷土芸能)に指定された木遣。長く受け継がれてきた伝統を守り続けるため、会員は心と声を一つにして唄い続けています。
■今も残る、町火消の誇り
木遣とともに、町火消の伝統として欠かせないのが「纏(まとい)振り」と「はしご乗り」。鳶職たちが町火消として培ってきた技術や経験が芸として発展し、今では伝統の技として披露されています。
頭部に町火消の各組を表す「陀志(だし)」がついている纏は、手に持って振り上げたり、回転させたりすると、布などに胡粉(ごふん)を塗って作られた「馬簾(ばれん)」と呼ばれる装飾が華やかに舞うのが特徴。古くは周囲に火事の発生を知らせるため、家屋の屋根の上で纏が振られていましたが、現在では町火消の旗印として行進の先陣を切る役割を果たしています。各組の存在と心意気を示す纏を振ることは、名誉なこととされており、全身を使って上下左右に力強く振り上げる姿からは、勇ましさや誇りが伝わってきます。
観る者を魅了するもう一つの妙技が「はしご乗り」。同会で、はしご乗りの技を解説する吉水盛利(よしみずもりとし)さんは、「はしご乗りの技を成功させるには、下ではしごを支える人の存在が不可欠」と話します。
はしご乗りでは、はしごの上で演技する「乗り子」の動きを見ながら指揮を執る人を筆頭に、棒の先に鳶のくちばし型の金具がついた「鳶口(とびぐち)」という道具を持った13人ではしごを支えます。4間(7.2m)もの高さがあるはしごは竹製。乗り子が登ると大きくしなります。そのため、下で支える人と乗り子が呼吸を合わせ、バランスを取ることが演技の決め手に。会員同士の結束の固さが、はしごの上での妙技を生み出します。
かつて自身も乗り子だった吉水さん。当時を振り返り、「若い頃は『自分が技を決めなければ』という思いで焦ってしまうこともありました。でも、次第に支えてくれる人たちへの感謝の気持ちが強くなっていった」と言います。技の成功の鍵は、「仲間への感謝の気持ちと、活動のなかで築かれた信頼関係ですね」と語ってくれました。
■伝統の灯を絶やさないために
「八王子消防記念会の会員は、鳶職の仲間であると同時に、大切に受け継がれてきた伝統の技と心をともに守り続ける仲間」──同会の総代を務める秋山嘉一(あきやまよしかず)さんは、これまでを振り返りながらそう話します。
幼少期から、木遣や纏、はしご乗りが身近にあった秋山さん。伝統文化の一翼を担う責任感から、「先代方が守り、継承してきた唄や技をこれからも大切にしていきたい」と語ります。そのうえで、後輩たちには自分たちらしい時代に合った木遣や纏振り、はしご乗りをしていってほしいと話します。「教えたことができるようになるだけでなく、自分のものにできてようやく一人前。人とのつながりを大事にする八王子のまちで、仲間とともに歴史のバトンを繋いでいけたら」
多くの人が守り繋いできた町火消の歴史と文化。その想いと伝統は、これからも時代を超えて継承されていきます。
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