■フェンシングを始めたきっかけ ~今の心境、世界を舞台に活躍~
司会:フェンシングを始めたきっかけを教えてください。
松山:4歳のときに、母の勧めで兄と始めました。母が、台東区の広報紙に、台東リバーサイドスポーツセンターでフェンシングが行われているというのを見つけて、それで気軽に足を運んだのがきっかけです。まさにこの場所で練習していたので、今日久々に来たんですけど、本当にいい意味で何も変わってなくて。本当に懐かしいなって思っています。
区長:その当時、フェンシングをしている方は今と比べるとまだ少なかったと思います。そういった中で、ずっと続けていこうと、そんな気持ちになったのは何かありましたか。
松山:幼い頃から全国の大会で優勝して、勝つ喜びを早い段階で知れたっていうことが大きいです。幼いながらに、フェンシング面白いな、すごくかっこいいなって思いながらプレイしていました。ここには、そういう思い出がたくさんあります。
司会:松山選手は、平成25年にこのリバーサイドスポーツセンターで開催されたフェンシングの国体で優勝されています。改めてリバーサイドスポーツセンターはどのような場所ですか。
松山:とにかくここが原点なので。今日、本当にこの場に今いられて嬉しく思います。当時僕が高校2年生の時、国民体育大会がこの場所で行われて、その時も特別な思いがありました。国体はずっと出場することができるんですけど、その中でも台東区のこの場所で国体が行われるってもう一生に一回の経験じゃないですか。ちょっとしたプレッシャーがかかっている部分もあったんですけど、本当に全てがうまくいって、しっかり勝ち進むことができて、結果的に優勝できました。この場所は国民体育大会以外にもいろいろな大会が行われていたんですけど、すごく相性は良かったです。
司会:松山選手は、19歳の時に太田雄貴さんから日本代表のキャプテンを引き継いでいます。
区長:日本代表のキャプテンは大変な重責で、チームをまとめていくっていうのはいろいろ大変なこともあると思いますが、心掛けていることはあるんでしょうか。
松山:19歳で初めてキャプテンを引き受けて、その当時はキャプテンだからといって特別に何かを変える必要はないと思っていました。けど、どこかで自分がみんなを引っ張っていかなくちゃいけないという思いがあって、周りが思っている以上に自分自身に対してプレッシャーをかけすぎてしまい、苦しかった時期もすごく長かったです。今振り返ると、みんなに何かを見せようとか、こうでなくてはいけないという理想像が先行しすぎてしまって。逆に今は、ありのままの自分でしっかりと結果で見せるようにしています。チーム全員としっかりコミュニケーションを取ることも心掛けています。朝、会ったら1人1人におはようって言いますし、そういう本当に当たり前のことは今も続けていて、それをすごく大事にしています。
区長:本当に素晴らしいことだと思います。いろいろな大会に出場されていると思いますが、特に印象に残っている大会はありますか。
松山:2022年の10月に、初めて個人で優勝したドイツワールドカップがすごく印象的です。20歳からシニアカテゴリーに参戦して、自分の中ではすぐに活躍して東京オリンピックでも金メダル取ってとか、いろいろ思い描いていたのが全部うまくいかなくて。すごく苦しんでいた時間も長かったです。それでようやくワールドカップで優勝っていう表彰台にたどり着いたことが、自分の人生の中でも、フェンシング人生の中でも大きかったです。
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