■ゆかりの地マップ~蔦重の夢が息づく粋なまち~
(1)正法寺(しょうぼうじ)(東浅草1-1-15)
蔦屋重三郎は没後、正法寺に埋葬されました。墓は戦災等で失われましたが、菩提寺である正法寺には復刻された蔦屋家の墓碑と重三郎母子顕彰碑が建てられています。碑には蔦屋重三郎の本名「喜多川柯理」が刻まれ、碑文は親交のあった石川雅望(いしかわまさもち)、大田南畝(おおたなんぽ)によるものです。
寺には江戸三大毘沙門天(びしゃもんてん)の一角に数えられる開運大毘沙門天も祀(まつ)られています。
(2)吉原神社(千束3-20-2)
吉原遊郭には、吉原大門手前の「吉徳稲荷」、廓(くるわ)の四隅の「榎本稲荷」、「明石稲荷」、「開運稲荷」、「九郎助稲荷(くろすけいなり)」という5つの稲荷社が祀られていました。
これらの5つの稲荷社が明治14(1881)年に合祀(ごうし)されて創建されたのが「吉原神社」です。その後、近隣の吉原弁財天も合祀され、現在では計6つの神様が祀られています。
(3)見返り柳(千束4-10-8)
吉原遊郭への出入り口となる日本堤には柳の木が植えられており、遊郭帰りの客が名残を惜しみつつ、この柳のあたりで振り返ったことからこの名がつきました。
かつては山谷堀脇の土手にありましたが、震災や戦災等で数代にわたり植え替えられており、現在は吉原大門交差点付近に植えられています。
(4)五十間道(ごじっつけんみち)と耕書堂跡(千束4-11付近)
見返り柳から吉原大門へと続くS字に曲がった通りが「五十間道」です。S字カーブを描いていることにより、日本堤から吉原遊郭の様子が見えないよう工夫されていました。
蔦屋重三郎はこの五十間道に書店「耕書堂」を開業し、その才能を開花させました。
(5)吉原大門(おおもん)跡(千束4-15付近)
吉原遊郭の唯一の出入り口であり、治安の維持と女性の出入りを厳しく監視するため、大門の先には番所が設けられていました。
門は火災等により何度か建て替えられましたが、関東大震災で焼失したのを最後に再建されることはなく、現在では大門の柱を模した「よし原大門」と書かれた街灯が建っています。
(6)平賀源内の墓(橋場2-22-2)
エレキテルの復元で有名な平賀源内は、発明家だけでなく、本草学者・地質学者・蘭学者・戯作者など多彩な才能をもっていました。
源内は、安永8(1779)年に殺傷事件を起こして獄死し、台東区橋場にあった総泉寺に埋葬されました。寺は後に移転し、現在は墓のみが残されています。
(7)葛飾北斎(かつしかほくさい)の墓(誓教寺(せいきょうじ))(元浅草4-6-9)
世界的に知られる名作『富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)』は、蔦屋重三郎の死後に別の版元から出版されたものですが、「勝川春朗(かつかわしゅんろう)」と名乗っていた若き日の葛飾北斎も、蔦屋重三郎の元で浮世絵を出版したうちの1人です。
北斎は嘉永2(1849)年に亡くなり、台東区元浅草の誓教寺に埋葬されました。墓には北斎の画号の1つでもある「画狂老人卍」と辞世の句が刻まれています。
■大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
◆大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」2025年1月5日放送開始 NHK総合毎週日曜夜8時 ほか
出演:横浜流星 ほか
作:森下佳子
放送100年を迎える2025年に描くのは日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き時に“お上”に目を付けられても“面白さ”を追求し続けた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯。笑いと涙と謎に満ちた“痛快”エンターテインメントドラマがはじまります!
問合せ:台東区文化振興課大河ドラマ活用推進担当
【電話】5246-1118
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