■天海祐希氏
台東区出身。昭和60年宝塚音楽学校入学。昭和62年宝塚歌劇団入団。平成5年、史上最短で月組男役トップスターに就任。平成7年に退団後、俳優として本格的に活動を始める。舞台・映画・ドラマ・CM・バラエティーなど幅広いジャンルで活躍している。
■浅草芸能大賞と新成人へのメッセージ
区長:明けましておめでとうございます。
天海:明けましておめでとうございます。
司会:本年の対談のお相手は台東区出身で俳優の天海祐希さんです。
天海さんは令和2年度第37回浅草芸能大賞で大賞を受賞されました。
区長:受賞されたときの天海さんの本当に嬉しそうな笑顔が強く印象に残っています。
天海:やっぱり生まれ育った場所に認めていただけたような気がするというか、何よりも母がすごく喜んでくれまして…、とても誇らしいことだなと思いました。
区長:令和3年には、新成人へお祝いのビデオメッセージもいただきました。前途ある若者へのメッセージということで、気持ちが入りましたか。
天海:新しい時代を創っていってくださる皆さん、期待と不安でいっぱいになっている皆さんにどんな言葉をお掛けしたらいいのだろうって、すごく思いました。私がいつも決断するためのベースになっていることをお伝えして、どこか心の片隅にでも残していただけたらなと思ったので、それをお話しさせていただきました。
区長:天海さんは平成3年の広報「たいとう」でインタビューに答えてくださっていたんですよね。小さい頃から大のお祭り好きで、おみこしを担ぎ回っていたと答えています。私がご自宅にお伺いしたときも、下谷神社のおみこしを担いでいて、地元は大変な盛り上がりでしたよ。
天海:近所のおじちゃん・おばちゃんからですね、「あなた今年は帰ってこられないの」って言われて、「ちょっと仕事で行けない」って言うと、ものすごく非難を受けるんです。「お祭りなんだよ」と言われます。それも見越して、最近はマネージャーさんに「ここは予定を入れないで」って伝えて、毎年実家に帰って、近所のおじちゃん・おばちゃん、それから親戚・家族なんかとお祭りを楽しんでいます。
■印象に残っている台東区の出来事
司会:ここからは、天海さんに台東区での思い出を伺ってまいります。天海さんが台東区でお生まれになってから、宝塚音楽学校に入学された頃までの台東区の出来事をボードにまとめています。
天海:パンダの上野動物園来園はもう大ニュースになりまして。ものすごい人数で並んでいたので、止まって見られないの。パンダが後ろで寝ちゃっていると、姿が見えないんですよね。「どこ、どこ」って言っているうちに通り過ぎちゃうっていう経験を何回かしましたね。それでも遊んでいる姿とか寝転がっている姿が本当にとてもかわいくて、よく見に行きました。
区長:今も上野のシンボルとして、本当に日本中の皆さんに愛されていますね。
天海:浅草公会堂が落成したのはすごく覚えています。小学校時代、バレエをやっていたんですが、その発表会もここでやりましたし、いろいろ思い出があるんですよ。
隅田川の花火大会、今じゃもう恒例のようになっていますけれども、この時に復活したんでしたね。
2階建てバスもすごく覚えています。2階に乗るのが楽しみで。
区長:浅草公会堂は花道のある初めての公会堂で、大衆芸能の殿堂として、今も浅草の名所になっています。天海さんの手形とサインもありますね。
2階建てバスも、全国から大変注目されましたね。
司会:下町風俗資料館もこの頃に開館したんですね。
天海:祖母なんかを連れて一緒に行くと、とても懐かしがって。「これは何に使うの」、「これはこうやって使っていた」って話をおばあちゃんとできたり。すごく楽しい資料館でしたね。
司会:今リニューアル工事で休館中なんですよね。
区長:今年の3月に「したまちミュージアム」としてリニューアルオープンするんですよ。昭和30年代の提灯(ちょうちん)屋さんや長屋などを原寸大で展示します。当時の暮らしの様子を再現する大型映像も流れますので、ぜひお越しください。
天海:ぜひ、伺いたいと思います。
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