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令和7年 新春対談(2)

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東京都台東区

■子供の頃の遊び
司会:どの辺りで遊ばれていましたか。
天海:小学校時代はやっぱり上野・浅草ですかね。バスに乗って浅草まで行って、大好きな駄菓子屋さんに行ったり。当時は結構ありましたしね。浅草も上野公園も本当に自分のお庭のように遊びに行ってました。上野公園はいっぱい見るところがあって、無料で入れるところとかもいっぱいありましたし。サイクリングコースがあったんですよ、噴水の横に。300円もあったら1日遊んでいられる。私もずる賢いので、7歳下の弟を連れましてですね、弟を連れて子守をすると母がちょっとお小遣いをくれて。弟を連れて飲み物とお弁当を持って上野公園に行って、動物園で遊び、子供遊園地っていうのがあって乗り物に乗ったり。浅草の花やしきに行ったり。
区長:随分、行動範囲も広かったようですね。
天海:小学校時代は公園を転々と遊びに行って。違う小学校の子たちとぶつかって、自転車で逃げたり、自転車で追っかけてとか、やっていましたよ。そういう子たちが中学校で一緒になるんですよね。あのときけんかしたよねと言いながら。親御さんたちも人情あふれる方が多かった。台東区の方ってね。だから、子供たちもその人情に触れているんですよね。近所の人の。どこかでけんかしても、けんかしたらすごく仲良くなってるとか。あとはちょっと元気がない子をみんなが気にかけるとかすごく多い。情に触れて成長できた小中学校時代だったなと思います。
区長:向こう三軒両隣の温かい絆。そういうところは台東区は本当に濃く残っていますね。
当時の子供たちの遊びで思い出に残っていることは何かありますか。
天海:幼稚園、小学校の頃って、道路で遊べたんですよ。玄関の道路のところで、それこそ花火をやったり、道路にチョークで絵を描いて遊んだり、よく遊んでましたね。いろんなものが進んで便利になっていく反面、できなくなっていくこともある。これ危ないっていうことに気が付いて、できなくなっていくこともあるでしょうけど。
家の前で遊んでますから、大人の目も結構あったんですよね。玄関開けると子供たちが見えるが、いなくなったら探しに行く、とか。なんかとってもいい時代だったなと思います。
司会:先ほど、駄菓子屋さんなんていう話もあったかと思いますけれども、お好きなお菓子とかはあったんでしょうか。
天海:麩菓子っていうんですか。あれ大好きで、よく買って食べてましたね。駄菓子屋では小学校が違う子とも交流ができたり、店番のおばあちゃんに、これはこれと一緒に買えないよって教わったり。そこで、ちょっと社会を知るというか、そんな場所でしたね、交流の場だった。
司会:駄菓子屋さんにちなんだ映画にもご出演されていると伺っていますが。
天海:そうなんです。先月12月から公開になっているんですけれども、「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」というお話で、そこの主人の「紅子さん」という役をやらせていただいて。3時間の特殊メイクをしましてですね。何となく子供の頃を思い出すような、ノスタルジックな感じで。下町風俗資料館にあったような路地を通ってお店に行くんですね。下谷神社の裏なんかにも結構あった路地。とっても懐かしかったですね。
司会:大人もちょっと昔を思い出すような。
天海:お子さんから見ると、ちょっとこれは怖いな、こういうことやったらこうなっちゃうんだなっていう教訓にもなるお話ですし、大人が観ても「確かにね~」って。ご家族で楽しんでいただける映画だと思います。
区長:本当に駄菓子屋さんは今はもう少なくなりましたけれども、その映画、ぜひ観せていただこうと思います。
司会:少しご紹介をさせていただきますと、「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」は叶えたい願いがある人の前に駄菓子屋が現れまして、そこで買った不思議なお菓子を食べると、さまざまな効果が得られるというお話なのだそうです。
区長:夢がありますよね。
天海:はい。でも結果それで助かったとしても、自分の力でそれを続けていかなければどうにもなりませんよっていうことを教えてくれる映画なんです。
司会:もし天海さんが子供の頃、銭天堂に行けていたとしたら、どのような願いが叶うお菓子を買っていたと思いますか。
天海:今思うと、買えなくて良かったなっていう気はしますね。いいことも悪いことも貴重な経験を一つできないで大人になってしまったかなっていう気もするので。でも大人になってから何が欲しいかなって考えたときに、バイリンガールっていう人形があるんですが、それをつけると世界各国の方とお話ができる。それは欲しいなと思って。

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