◇スポーツができる環境があることの大切さ
区長:北澤さんはいくつからサッカーを始められたのですか?
北澤:小学校1年生です。最初は野球をやっていたのですが、落ち着きのない子どもだったので、父が動きの多いサッカーの方がよいだろうと(笑)。
区長:始めてすぐに将来はサッカーの選手になろうと思われたのですか?
北澤:僕が育った町田市はサッカーが盛んで、成長できる環境に恵まれていたんですね。小学校の先生にはサッカーの指導者も多く、そのつながりで大会を開いてくれたり、地元の農家の方が農地をグラウンドとして貸してくれたり。このような環境でサッカーをしていなかったら、たぶんサッカー選手にはなっていないですね。
区長:そうだったんですね。都内ですとグラウンドを確保することがなかなか難しいです。品川区では昨年8月にしながわ区民公園に「こどもサッカー場」を整備し開設しましたが、大変な人気です。ところで、北澤さんは子ども向けのサッカースクールを主宰されているそうですが、やはり次世代へつなげていこうという気持ちが大きいのですか?
北澤:そうですね。それと自分が住んでいる地域に何ができるか、ということでしょうか。
◇子ども時代のスポーツ体験が心身を鍛える
区長:プロの方に教えてもらえるというのは、子どもたちにとっては“本物”に接することができる貴重な体験だと思います。子どもたちを指導する上で心がけていることなどはありますか?
北澤:子どもですから、まだ本人も気づいていない隠れた才能がいっぱいあるわけじゃないですか。それを見つけるのは楽しいですね。いつもリーダー的な役割をしている子ではなくても、素質があるなと思ったらその子に任せてみたり、本人がやりたいと言えばいつもとは違うポジションをやってもらったり。普段、学校では自分の立ち位置みたいなものが決まってしまうことが多いと思いますが、スクールに来て、学校とは違うコミュニティで違う世界に出会えることは、とてもよいことだなと感じています。
区長:技術以外にも、スポーツを通して身に付くことはありますね。
北澤:フィールドでは、泣いても笑っても、もめ事が起きて喧嘩(けんか)しても、許される環境にしたいと思っているんです。とにかく心豊かに感情を出すということが大切で、それらを出し切って最終的にどう解決するか、乗り越えていくのか。その積み重ねが心の強さみたいなものにつながっていくと思っています。
区長:東京2020大会が記憶に新しいですが、スポーツを通じた共生社会の実現も重要だと考えています。北澤さんは日本障がい者サッカー連盟の会長としての一面もお持ちですが、そもそも障がい者サッカーに携わるきっかけはどのようなことだったのですか?
北澤:読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)時代、先輩だったラモス瑠偉さんが障がいのある方をグラウンドに連れて来て一緒にサッカーをやっていたんですよね。
区長:ブラジル出身で日本代表としても活躍されたラモス選手ですね。
北澤:はい。ブラジルでは障がいのある人もない人も一緒にやるのが当たり前、それがサッカーだと彼は言っていました。現役の頃からそうした場面にいくつも出会ってきたので、特に障がい者のサッカーだと意識したことはないんです。将来は障がい者サッカー連盟もサッカー協会に一元化して、一つの部門になればいいなと思っているくらいです。実際に、障がい者サッカーの選手たちと一緒にプレーしていると、相手に障がいがあることを忘れてしまいます。障がい者サッカーというくくりで分ける必要もないのかもしれません。
区長:少しルールが違うだけで同じサッカーですからね。
北澤:そうなんです。障がいがあるから分けるのではなく、どうやったら一緒にできるかを考える感覚が大切だと思います。
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