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日の出町のあゆみ (3)ー文化編ー

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東京都日の出町

※町制施行50周年を記念して、町の歴史・文化をシリーズで掲載しています。

■大久野地区の祭礼 町指定無形民俗文化財「玉の内の獅子舞(ししまい)」
付 獅子頭(ししがしら) 三頭一組
獅子頭(文化7年銘) 三頭一組
獅子舞も一緒に指定されているよ!

日の出町には、地域の人に大切に守られてきた伝統文化が今も数多く残り、毎年開催される祭礼にも、歴史と伝統が息づいています。今回は、町指定無形民俗文化財に指定されている大久野地区の「玉の内の獅子舞」を紹介します。
玉の内の獅子舞は、毎年8月の第2土曜日に、三嶋神社と集落内の2箇所を舞庭として奉納しています。玉の内の獅子舞は「風祭(かざまつり) 獅子舞(ししまい)」と公称しており、「雨乞獅子(あまごいしし)」や「悪魔除(あくまよけ)」とも呼ばれています。かつては雨乞のために奉納されていました。
玉の内の獅子舞は「三匹獅子舞」と呼ばれる形式で、頭に獅子頭を被(かぶ)りおなかに太鼓(たいこ)を括(くく)り付け、1人で1匹の獅子を演じ、3匹の獅子が同時に舞います。
2匹の雄獅子(おじし)は日神と雨神で、日神を務める雄獅子は「オオダイ」と呼ばれ棒状の角があり、雨神を務める雄獅子は「キリ」と呼ばれ捻れ角があるのが特徴で、2匹の雄獅子が雌獅子(めじし)である雲神をめぐる物語を表しています。獅子舞は、神立(かんだち)、神切(じんきり)、布団張(ふとんばり)、花掛(はながかり)、七道(しちどう)、太刀掛(たちがかり)、竿掛(さおがかり)の7庭により構成されています。
獅子舞関係の古文書類は、明治15年(1882)の大久野焼けによる焼失で起源ははっきりとは伝わっていませんが、昭和22年(1947)に作成された「縁起書(えんぎしょ)」によると、甲斐(かい)武田氏の落人(おちゅうど)が土着した際に神立と神切を伝え、その後、江戸時代末期に檜原村の出稼衆から、残りの5つの演目を習い加えたとされています。現在遺されている獅子頭は、文化7年(1810)と弘化4年(1847)と記された墨書(ぼくしょ)が確認されています。また獅子舞の装束入箱の蓋裏書(ふたうらがき)には「弘化三丙午年 大久野玉之内」と「文久二戌年九月吉日 玉之内」の墨書が確認されていることから、江戸時代後期には舞われていた可能性があります。
獅子舞や江戸時代の年号が記された獅子頭等は、大久野の大火を乗り越え現在まで伝わり、保存会はじめ地域の方々によって次の世代へ受け継がれています。
次回は、平井地区の祭礼を紹介します。

■今年の開催予定
令和6年8月10日(土)正午玉の内会館を出発し、三嶋神社へ向かいます。一般公開しておりますが、特段駐車場等の用意はしておりませんので、ご注意ください。

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