■プロフィール
沼津りえ(ぬまづ・りえ) 管理栄養士・調理師・料理教室「COOK会」主宰。大手食品メーカーで管理栄養士として働いた後、料理家を志して専門学校へ。同時に老舗レストランで料理の基礎を徹底的に身につける。出産を機に一度は仕事から離れるも、ママ友に料理を教え始めたことをきっかけに、料理教室「COOK会」をスタート。阿佐谷を中心に数多くの料理教室を開催している。新聞・雑誌・テレビなどのメディアでも精力的に活動中。企業向けのレシピ開発なども行っている。
■会社を辞めて料理の道へ。寝る間も惜しんで学んだ日々
Q:沼津さんが料理の道へ進んだ背景をお聞かせください。
A:幼い頃から料理番組や、母が定期購読している料理テキストが大好きで、夢中になって見ていました。「食」への興味が強く、社会人として選んだ勤め先は食品メーカー。管理栄養士として主に栄養指導の仕事をしていました。でもどこかに「料理を作る仕事がしたい」という思いがあり、その気持ちが強くなって5年間勤めたメーカーを退職。周囲には反対されましたし、私自身にとってもすごく勇気のいることでした。
Q:会社を辞めた後、どのようにして料理を学ばれていきましたか?
A:パンや製菓をメインに学ぶ料理の専門学校に入学し、授業の後は、憧れていた老舗の洋食屋さんでバイトを始めました。学校では自分よりも若い人たちに混ざって、料理の基礎を一から学ぶ日々。忙しくて寝不足でも、好きなことだったので努力とすら感じず、楽しくて仕方なかったですね。バイト先のお店は7年ほど続けて最後は二番シェフになることができましたが、結婚を機に仕事はセーブして、第二子が生まれたタイミングで子育てに専念することに決めました。
■阿佐谷で子育て。ママ友の一言が料理家への一歩に
Q:その後、料理家として活動するに至ったきっかけは何だったのですか?
A:23年前、第一子が生まれる頃に阿佐谷に引っ越してきました。子どもが幼稚園へ行くようになると、ママ友たちと家でお昼を食べることが増えて、私は料理が得意ということもありいろいろ持参するようになりました。あるときデコレーションケーキを持っていくと、作り方を教えてほしいと言ってくれたママ友がいて。それをきっかけにあちこちの家で料理を教えるようになり、そんな私を見た友達が「いろんな家に行くなら会場を借りて料理教室を開いた方がいいよ」と言ってくれたのです。それが料理家への一歩につながる言葉でした。
Q:それが現在も続く、沼津さんのお料理教室の始まりだったのですね。
A:最初は消極的でしたが、でも「一度やってみよう!」と地域区民センターを借りて親子料理教室を開きました。今から18年前、料理教室「COOK会」の誕生でした。当初は10人ほどの参加者だったけれど、徐々に輪が広がっていき回数も増える一方。杉並子育て応援券の対象になった効果もあり、気付けば1日3~5回教室を開くまでになっていました。親子料理教室からスタートした内容も、大人だけの教室、パンの教室、ケーキの教室と、どんどん幅を広げていきました。
Q:地域区民センターで開催している教室はどんな雰囲気ですか?
A:今は阿佐谷地域区民センター主催の教室も毎月2回開いていますが、今日(取材当日)も30~89歳の方まで、老若男女いろいろな方が参加してくれました。初対面でも、料理でつながるとあっという間に仲良くなって、みんなで和気あいあいと楽しんでいます。阿佐谷のローカルネタで盛り上がったり、「あそこのスーパーのあれはおいしいよ」なんて情報交換をしたり。それを聞いているだけで「いい場だなぁ」としみじみ実感します。
Q:阿佐谷のまちには、どのような思いを感じていらっしゃいますか?
私自身、知り合いのいない孤独になりがちな子育てで、それでも阿佐谷のまちを子どもと歩いているとたくさんの人が温かい声をかけてくれて、とても救われました。まちの人の優しさに触れて子育てをしてきたからこそ、このまちに恩返しをしたいという気持ちも大きく、地域区民センターでの料理教室への思い入れも強いんです。娘2人が小さかった頃は、彼女たちも教室の手伝いをしてくれていて、夫も含めて家族4人で関わっていたんですよ。今は夫婦二人三脚での運営となりましたが、当時と変わらない気持ちで取り組んでいます。
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