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トークセッション(1)

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東京都東村山市

令和5年10月9日に開催された市民スポーツフェスティバル「ぐるスポ」にて、スペシャルゲストとして元プロ野球選手の鳥谷敬さんをお招きし、渡部市長と金子副市長とのトークセッションが行われました。
その内容の一部を再構成して掲載します。

■久しぶりの東村山
渡部市長(以下市長):数十年ぶりの東村山市だと思います。お子さんの頃はどのような場所で遊ばれましたか。
鳥谷さん(以下鳥谷):小学校1年生から通っていた柔道が東村山警察署内だったので、そこから八坂小学校の範囲で遊びました。踏切、公園があって父の社宅がこの範囲内でした。久しぶりに来て、ちょっとびっくりしました。だいぶ街並みが変わったな、と思いますね。

■野球との出会い
市長:鳥谷少年はどんな少年でしたか。
鳥谷:本当にスポーツばかりしていました。月・水・金は柔道、土・日は野球、火・木は学校のみんなでサッカー。サッカーが一番好きでした。ゴールした時はホームランより嬉しかったですね。
市長:サッカー好きな鳥谷少年が、なぜ野球を始めたのですか。
鳥谷:まだJリーグが始まっていない時期で、球技をやりたかったのと、野球をやっている友達が多かったからです。
市長:ジュニアメッツに所属されるのは北山小学校方面の子が多いイメージがあります。なぜジュニアメッツに入られたのですか。
鳥谷:はっきりとは覚えてはいませんが、父といくつかのチームを見たうえで、自分がこのチームにすると決めて入ったのだと思います。
市長:サッカーが好きで、柔道はスポーツセンターで開催された柔道大会で優勝されるほど強くて。でも結果としては野球を選んで大成された。なぜ野球を選ばれたのですか。
鳥谷:柔道は関東大会等にも出ました。けれど中学生までは体重が重い方が有利で、勝つために増やす。それは目指している選手像とは違うと思い野球を選びました。好きなのはサッカーですが、得意なのは野球だったので。

■苦しかった青春時代を通して気付いたこと
市長:中学生の時は成長痛等で、野球を断念しかけたことがあるとお聞きしました。
鳥谷:監督の提案で左打ちを始めた時期で、成長痛もあって思うように野球ができませんでした。高校でも2年生から始めたピッチャーで投げ過ぎて肩を壊して、また半年間、野球ができませんでした。
市長:でも結果として野球選手になられたのだから、野球への情熱はずっと保ち続けていらっしゃったのでしょうかね。
鳥谷:情熱というよりかは、続けると決めていたことなので。怪我の半年間はずっとランニングを続けていました。すると131キロしか出なかった球速が、145キロくらい出るようになりました。マイナスなことが起きると周りから取り残されているように感じます。でも、その期間をうまく使えば、前よりパワーアップ・スキルアップした自分になれることを、この半年間に味わいました。このことが自分の野球人生を変えました。
市長:何が転機になるかわかりませんね。

■そして、プロで
市長:プロの世界に入って、阪神時代には試合の連続出場記録が歴代2位ですか。その間も実は骨折していたと伺いました。
鳥谷:5回くらい骨折しましたね。多少成績が落ちても、試合に出続けて立場を守るという選択です。野球選手としての価値を守るために。1,000試合出場とか2,000本安打とか怪我で離脱していたらできません。後から考えれば、中学生・高校生の時に怪我の苦しみを経験しているから、それが逆に活きたということはありますね。

■野球ファンの金子副市長より
金子副市長(以下副市長):鳥谷さんは現役時代にレジェンドとしてさまざまな記録を残されましたね。特に選球眼が素晴らしくて、ボールゾーンのスイング率が14~15%だとか。
鳥谷:自分でもわからないような情報を入れてきましたね。
副市長:平均30%くらいなので、素晴らしいです。
鳥谷:選球眼を鍛えたのは、メジャーに行きたいと思い、年間20本のホームランでは行けないから出塁率を増やそうと考えて。そのためにボール球を振らない。練習からストライクゾーン以外は振らないことにしました。そのうち試合でも振らなくなりました。本当は三振してでもホームランを20本打った方が気持ちはいいですけど。自分の目標のためにそこは捨てました。

■目標へのアプローチ
市長:今までのお話から、鳥谷さんはしっかり目標を立てて、分析しながら緻密に積み上げて習慣化するかただとお見受けしました。
鳥谷:目標については、例えば10年後の目標、5年後、3年後、1年後、半年後の目標と割っていくと、今自分が何をしなければならないかが見えてきます。それをしっかりやると、次の課題も出てきて、次から次へとポジティブに進めていくことができ、気づけば、10年後には形になっています。野球の話であれば、1年143試合なので、1日1本ヒットを打てば年143本。それが今日できなかったら明日2本打てばいい。その1、2本打つためにはどうすればいいかを考えていけば、うまくいけば年150本、160本、気づけば3割達成。それを10年以上積み重ねていけば1,500本、2,000本になっている。1年で2,000本は打てませんから。そうやって最終的なゴールから割って、今日、自分ができることを探していくということをやっていますね。

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