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真打昇進を果たした、渋谷区出身の女流講談師。(1)

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東京都渋谷区

―全ての経験を講談に生かし、笑顔を届けたい。―

■しぶや区ニュース×渋谷のラジオ 渋谷のラジオで出張インタビュー
講談師として活躍する一龍斎貞鏡さんに、入門から真打(しんうち)昇進までの下積み時代のお話、講談師のやりがいやその魅力などについて伺いました。

講談師 七代目 一龍斎貞鏡(いちりゅうさいていきょう)さん
「お客さまと呼吸を合わせて、分かりやすく講談を読むことを心掛けています。」
渋谷区笹塚出身。平成20年に実父である八代目一龍斎貞山に入門し、平成24年に二つ目昇進。令和4年文化庁芸術祭新人賞受賞。令和5年に真打に昇進した。全国各地で行われる演芸会のほか、学校寄席や講演会、ナレーションなど多岐にわたって活動。ピアノを弾きながら講談を読むピアノ講談や、漫画とのコラボレーションなど新たな挑戦にも取り組んでいる。

◆「向いていない」と言われるたびに、父の姿を思い出した
◇貞鏡さんが講談師を志したきっかけについて教えてください。
貞鏡:私の父であり師匠でもある八代目一龍斎貞山(ていざん)は本当に恥ずかしがり屋で、家族には「絶対に高座※1に来るな」とずっと言っていたため、講談に全く興味を持たずに育ってきました。ところが20歳の時、家の居間にあった、父が出演する怪談噺(ばなし)の会のチラシにふと興味を持ち、父に内緒で講談を聞きに行ったんです。初めて見る父の高座姿に「格好良い!」と感動し、その場で「跡継ぎになろう」と決めました。

※1 寄席の用語で、舞台のこと

◇講談とは、どのような芸なのでしょうか。
貞鏡:講談は、落語や浪曲と並ぶ日本の三大話芸の一つです。演じる時に右手に張(は)り扇(おうぎ)を持ち、釈台(しゃくだい)をたたきながら歴史にまつわるお話を起承転結に沿って話します。講談の発祥については諸説ありますが、関ヶ原の合戦で敗北した西軍の武将たちが道にたたずみ、町の人々に戦の様子を話して投げ銭をもらっていたのが始まりという説が有力です。講談は武士が始めた芸能であることから、この張り扇も、武士が切腹をする時に用いる短刀と同じ、九寸五分(約30センチ)の長さになったと言われています。講談師にとっての張り扇は、武士にとっての短刀と同じぐらい大切なものです。

◇講談の最中に張り扇が折れてしまうこともあるそうですね。
貞鏡:はい、講談をする時にあまりにも力を込めすぎると折れてしまって、1年も持たないので、何回も作り直します。張り扇は毎年正月に講談師が手作りしていて、壊れた張り扇は年末にお寺でおたき上げします。

◇貞鏡さんは昨年10月に真打に昇進されましたが、真打になるまでにどのような道をたどってきたのでしょうか。
貞鏡:講談界には落語と同じように階級があり、師匠に入門すると見習いから始まり、前座、二つ目、そして真打と4つの階級に分かれているんです。見習いと前座の期間は3〜5年ほどあり、師匠に気持ちよく高座をおつとめいただけるようお手伝いします。二つ目に昇進すると、ようやく一人前の芸人として認めていただけるようになり、男性は黒紋付袴、女性は絹の着物を身にまとえるようになります。さらに10年ほど修行を重ねると、一番上の階級である真打に昇進します。

◇八代目一龍斎貞山さんからは、どのような指導を受けましたか。
貞鏡:父は一挙手一投足に対して小言を言うような師匠ではなかったのですが、最初に私が「入門したい」と伝えた時は、「七代目貞山の孫であり、八代目である私の娘だから、たやすく辞めることはできない。やるのであれば命懸けでやりなさい」と強く言われたことが印象深く残っています。私は20歳になるまで講談には全く触れずに育ったので、まさにゼロからのスタートでした。前座時代は、「人一倍不器用でしくじりも多いから、このままでは父や祖父の顔に泥を塗ってしまう。辞めてしまおう」と思うこともありました。でも、そのたびに、父の美しい高座姿を思い出し、「この姿を残せるのは私しかいない」と自分を奮い立たせていましたね。

◇講談師としての普段の活動や稽古についてお聞かせください。
貞鏡:今、私が出演している定席(じょうせき)※2はありませんので、ご依頼をいただいた場所で講談を読んだり、勉強会を開催したりしています。稽古は4人の子育ての合間に行なっています。子どもを保育園に預けている間に先生にお稽古をつけていただいたり、子どもが眠っている時間や静かにしている時間に細切れでお話を覚えたりしています。一時期はあまりにも余裕がなくて、子どもと一緒に自分も泣いてしまうこともありましたが、夫と何度も話し合い、試行錯誤しながら、なんとか稽古の時間を確保しました。真打に昇進する前に4人目を授かり、周囲から「幼子を抱えながら真打昇進なんて無理だ」と言われたこともありました。本当に悔しくて、絶対にやってやろうと歯を食いしばって稽古を重ねました。必死で走り続けた半年間でしたね。

※2 落語や講談などの演芸が楽しめる常設の寄席のこと。

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