港区は、歴史的環境に恵まれており、地域の歴史や文化を伝える多くの文化財が残されています。これらの貴重な文化財を永く後世に伝えていくため、昭和54(1979)年に文化財保護条例を施行し、これまでに148件の文化財を区民の宝として港区指定文化財にしました。新たに、令和5年10月12日に指定された文化財3件を紹介します。
■有形文化財[古文書]
中津川家文書(なかつがわけもんじょ) 179点
所有者:学校法人慶應義塾
仙台藩伊達家(せんだいはんだてけ)の家臣である中津川家に伝来した古文書です。内容は、戦国時代から幕末期に至るまでの伊達家当主の書状、中津川家の家系図や家譜(かふ)、剣術・砲術・柔術の免許目録等の武芸関係、生花(いけばな)等学芸関係の文書となっています。江戸時代、仙台藩は現在の港区域に複数の屋敷を所有し、中津川家には仙台藩江戸屋敷に勤務した者がいる等、中津川家は港区とゆかりがあったことがうかがえます。戦国時代から幕末期に至るまでの間、大名家に仕えた武家に伝わる文書群として、さまざまな情報が記されている貴重な資料です。
■有形文化財[古文書]
兼房町沽券図(けんぼうちょうこけんず) 1点
飯倉町沽券図 1点
所有者:港区教育委員会
沽券図は町の屋敷ごとに、屋敷地の形状や広さ、金額、持ち主等を記した図面です。江戸は明暦(めいれき)3(1657)年の大火後の復興やその前後の都市改造を機に人口・面積が急激に増加し、商品流通も増進しました。この17世紀以降、江戸の町々では需要に応じて、屋敷の売買が活発化したことから、幕府はその地価を把握するため、宝永(ほうえい)7(1710)年と寛保(かんぽう)3(1743)年の2度にわたり、町奉行(まちぶぎょう)より町名主(まちなぬし)に沽券図の提出を命じます。沽券図は社会・経済の発展により変わりゆく江戸町人地の支配体制を再編・強化する基礎資料とされました。
兼房町沽券図は宝永7(1710)年に作成されました。縦30センチメートル、横89センチメートル。現在の新橋一丁目の一部分が描かれています。印鑑が押されていることから、町奉行へ提出した正本に近い控えと考えられます。
飯倉町沽券図は寛保3(1743)年の命令を受けて、翌年3月に作成されました。縦248.8センチメートル、横305.8センチメートル。現在の麻布台一丁目と二丁目辺りが描かれています。印鑑が押されていないことから、写しもしくは控えと考えられます。しかし、記述内容は当時のものです。
江戸には約1700の町が存在しましたが、現存する沽券図は、写しや控えを含めても70点ほどで、このうち約50点は江戸中心部の日本橋・京橋のものです。どちらの沽券図も、江戸時代中期の港区域の町について、敷地割や地価をはじめとした町の詳細を現在に伝える貴重な資料です。
*こちらで紹介した新指定文化財は、令和6年1月13日(土)から郷土歴史館の企画展で展示を予定しています。
●東京文化財ウィーク
東京都が平成10年度から実施している「東京文化財ウィーク」は、都内全般で一斉に文化財を公開し、関連する企画事業をあわせて実施するものです。今年度も都内各所で貴重な文化財の特別公開や各種事業が行われます。
詳しくは、東京文化財ウィークHPをご覧ください。
問い合わせ:図書文化財課文化財係
【電話】6450-2869
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