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新紙幣を彩る3人の偉人たち~港区とのつながりと新紙幣の秘密~

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■第4回 渋沢栄一~利益追求と福祉還元を見据えた「日本近代経済の父」~

新一万円札の顔となった渋沢栄一は、天保11(1840)年、武蔵国榛沢郡(埼玉県深谷市)の豪農の長男として生まれました。幕末の動乱の中で郷里を離れた栄一は、一橋家に仕え、財政改善に手腕を発揮します。慶応3(1867)年、27歳の時、後の水戸藩主・徳川昭武(十五代将軍慶喜の弟)に従ってフランスへ渡航し、近代的な経済、産業を見聞しました。
明治元(1868)年に帰国した栄一は、翌年、日本最初となる合本(株式)組織「商法会所」を創立します。そして同年、大蔵省に招しょう聘へいされ入省してからは、近代的な貨幣制度の成立、公債発行等の政策立案、富岡製糸場の設立等、多彩な業績を残します。
明治6(1873)年に官を辞して実業家となってからは、第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の設立をはじめ、鉄道、印刷、ガス、電力、病院、造船と幅広い分野の近代的企業設立に関わり、その数は生涯で約500に上ります。そのひとつ、東京瓦斯株式会社(現在の東京ガス株式会社の前身)の創業の地は芝区浜崎町(現在の港区海岸1丁目)です。フランスでガス灯の美しさに心を打たれ渡航日記にも記した栄一。ガス灯は現在、芝大門(大門交差点付近)、新芝運河沿緑地、芝浦公園に復元されており、若き日の栄一の瞳に映った輝きに思いを馳せることができます。
明治42(1909)年、栄一は深川の邸宅を港区の三田綱町に移します。長男・篤二の住居に充てましたが、栄一も頻繁に訪れ長い時間を過ごしています。
企業の利益だけでなく、公共の利益も追求することで人々や国が豊かになるという「道徳経済合一説」を唱え、幾多の教育機関の設立、救貧施設の運営等社会公共事業の支援にも力を注ぎ続けた栄一は、人々に慕われ、惜しまれつつ、昭和6(1931)年、91歳で永眠しました。葬儀は青山葬儀場で行われ、谷中霊園に眠っています。

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